10月1日

 先月、熱燗の談義をした。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20120917/
 その中で、「ぬる燗」、「上燗」、「熱燗」などの言葉を使った。まだ他にもあって「日向」や「人肌」、あるいは「飛切燗」などというのもある。
 温度の順でいくと、「日向(ひなた)」(30度)、「人肌」(35度)、「ぬる燗」(40度)、「上燗」(45度)、「熱燗」(50度)、「飛切(とびきり)」(55度以上)となっている。
 もちろん上記の温度には(前後)が付く。その日の気温、湿度、酒の種類などによって、上燗が44度になったり46度になったりするのは当然だ。

 小津安二郎は酒をこよなく愛した映画人だった。彼は「酒は緩慢なる自殺なり」と自嘲しながらも終生酒から離れなかった。
 北鎌倉・茅ヶ崎を根城にして脚本を仕上げていた小津は、晩年、蓼科にその拠点を移す。シナリオ作りの同志である野田高梧の山荘「雲呼荘」である。その頃の小津日記を引く。
《茅野大津吟醸のダイヤ菊、まことに芳醇、天の美禄たり。いささか鄙びたる味ありて、一盞(いっせん)傾けるに羽化登仙、二盞、三盞、深酌高唱に至る。この日、酔余、うたたねのまま暁に及ぶ。醒むればいと涼し。高原すでに老いたり。》
 ううむ……さすが巨匠。「いささか鄙びたる味」なんて、とても浅学のワルシャワには言えません。夏の盛りの過ぎたることを、「高原すでに老いたり」ですよ。すごいな。この時、小津は51歳である。
 小津と野田はシナリオ1本を仕上げるのに3カ月ほどかかった。その間に、100本の一升瓶が必要だったというから生半可ではない。二人で毎日一升以上の酒を飲んでいたわけだ。
 小津組の笠智衆は、「ぼくが雲呼荘に伺った時も、ずらっと酒瓶が並んでいて、なんやら、酒屋の裏みたいだなぁと思いました」と語っている。
 ワシャは酒を飲むと、物事が論理的に考えられなくなる。しかしご両所は酒がアイディアを生む源泉のようなものなのだ。すごいなぁ。

 小津日記の巻末に、こんな歌が記されている。
「夕去れば ここだに灯る 酒場(バア)の灯の 今宵は 賀世(かよ)の 汲む酒をのむ」
 小津は、亡くなる年の四カ月ほど、銀座のバー「賀世」に足しげく通っている。
カウンターに初老の紳士が座っている。紳士の前には徳利とお猪口。紳士は、ときおり思いだしたように盃を口に運ぶ。ママは盃が乾く前にやってきて、さりげなく酒を注ぐ。それをやわらかい笑顔でうける紳士の顔には、店に入ってきたときに見えた憂さや淋しさは消えている。
 
 10月1日というのは、きりがいいせいか、いろいろな記念日になっている。「衣替えの日」、「法の日」、「コーヒーの日」、「ネクタイの日」、「香水の日」、「醤油の日」、「メガネの日」、「東海道新幹線開業記念日」などなど。
 その中に「日本酒の日」というものもある。右寄りだけど左党ワルシャワは、もちろん「日本酒の日」を今日のネタにしたのだった。めでたしめでたし。