歌舞伎講座

 昨日、南山大学の安田文吉教授の講義を受けた。テーマは「歌舞伎の舞台機構」である。
 初っ端は、歌舞伎の舞台の進化について。
 最初は、能舞台から始まる。能の本舞台に前舞台がつき、上手側に延び、橋掛かりが本舞台の幅まで広がって、本舞台、橋掛かりの後に舞台がせり出す。本花道が客席を貫き、鳥屋(とや)が設置され、仮花道もつく。本花道にスッポン(セリで上下する切穴)が穿たれ、空井戸(上方のみ)、名乗り舞台が本花道に付随する。能の揚幕が拡大され舞台全体をおおう引幕となって、江戸中期には舞台として一定の完成をみる。本舞台に廻り舞台、大ゼリ小ゼリの機能がつくのはさらに時代が下って、江戸後期の文政年間(1818〜1829)にはいってからである。さらに、現在の劇場でみられるような舞台機構に落ち着くのは、明治時代になってからであり、我々が今見ている歌舞伎舞台は、歌舞伎の歴史400年の中では、新しいものと言っていい。
 そんなことを教授は、ホワイトボードにいろいろな色をつかって板書された。教授の講義は、あちこちへ飛ぶ。舞台装置の話のところで、
伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」
「仁木弾正(にっきだんじょう)」
義経千本桜」
「早見藤太(はやみのとうた)」
山中鹿介(やまなかしかのすけ)」
塚原卜伝(つかはらぼくでん)」
国定忠治(くにさだちゅうじ)」
 など、どんどん横道に逸れていく。
 前段の4つは、歌舞伎の初心者にはきちんと説明しなければ判らないだろう。しかし、時間が限られているので教授は「受講生は歌舞伎を理解している」という前提で端折って話は進んでいく。これは初心者には厳しかろう。
 後段の3つは、講談を知らないと話についていけない。教授は、「今の学生たちはモノを知らない」と嘆いておられたが、いやー、それは講談という文化の衰退のせいであって、子供たちの不勉強ではないような気がするなぁ。

 90分の講義の後半は、教授のライフワークである全国の村歌舞伎、あるいはその舞台機構の映像を見る。
 群馬県の上三原田(かみみはらだ)歌舞伎
http://www.wind.ne.jp/bee/b.htm
 高知県のゆすはら座
http://moromoro.my.coocan.jp/2010_H22/yusuharaza.html
などなど。

 ワシャは村歌舞伎も好きで、豊田市小原地区に残っている小原歌舞伎を何度も観ている。長野県の大鹿村の村歌舞伎もおもしろかった。
 大歌舞伎(江戸・大坂の本物の役者による歌舞伎)とは違って、素人役者が演じるのだから、随所に笑える部分がある。例えば、背景としての軍兵たちは、均等に並ばなければ絵にならない。大歌舞伎の役者たちは自覚しているからきれいに並ぶ。しかし、村歌舞伎の役者にそんな自覚はない。自分にとっては晴れ舞台なのだから、目立ちたくって仕方がないのだ。主役の背後に隠れてしまうのが嫌う。ゆえに隙間を選んで顔を出す。だから、勢揃いがちっとも揃わない。
 それに、村歌舞伎の役者には、役者顔がなかなか見当たらぬ。そりゃそうで、山仕事をしているオジサンが義経だったり、農作業をしているオバサンが静御前だったりする。ときにはぷっと吹き出してしまうほど貧相な義経が登場したりする。これが楽しみなのだ。
 それに村歌舞伎は舞台がコンパクトでやや窮屈な観がある。全体に縮こまって物語が進んでいくのがこれまた楽しい。
 教授の話を聴いていて、久しぶりに村歌舞伎が観たくなった。