梅雨の落語

 昨日の朝、遊歩道を歩いていると捩花(ねじばな)の群生を見つけた。ピンクの小さな花が、三十ほど連なって咲く。それがくるくるとねじってある可愛い花だ。ねじり戻してみるのだけれど、またもとに戻ってしまった。

 しかし、昨日は忙しかったわい。午前中に社外役員会が開催され、それが紛糾した。社外役員には派閥があって両派が真っ向から対立する。結局、投票を4回実施して、なんとか収拾したような有様だった。
 午後1時ちょうどから社長臨席の幹部会議である。頼むから1時ちょうどというのは止めてくれ。怠慢かもしれないが1時間しかない昼休みをゆっくりと過ごしたい。
「給料をもらっているのだから、1時ぴったりから全力で働け」
 それはそのとおりだ。しかし、会議の準備というのも仕事である。1時から準備を始めて1時15分から会議開始ではいけないのだろうか。
 その会議も紛糾した。ううむ、我社には懸案が多い。だったら一部の執行部で決定して動けばいいのだろうが、万機公論に決したがる社風のため、なかなか物事が円滑に動かない。
 午後3時半、市内の某高校で一席ぶった。相手は1年生320人である。いやー、高校生とはいっても3か月前まで中学生だったわけで、まだまだおぼこい。かわいい。

 さて、夜は地元での落語会に馳せ参じる。こういう楽しみがあるので一所懸命に働いているようなわけだわさ。
 出演は、お馴染みの瀧川鯉昇(りしょう)、鯉昇の兄弟子の春風亭小柳枝(こりゅうし)など。
 相変わらず鯉昇のまったりとした話しぶりにはめられる。演目はお店噺の「寝床」である。マクラは鯉昇らしく突拍子もない「東京スカイツリーの電磁波」の話題で釣る。
「その電磁波のおかげでね、浅草演芸場に行く時にちょくちょく見かける顔見知りの鳩が、私の自宅の方まで避難しているんですよ」
 これでドッカ〜ンと笑いを取る。それから「寝床」に入っていくのだ。
「寝床」というのはこんな噺。
大きなお店の大旦那、いい人なんだが大の義太夫好き。下手の横好きってぇやつで聴けたもんじゃない。時折、店子やお店の者が犠牲になって義太夫の会をやっている。またその義太夫の会があるのだが、みんな仕事だの病気だの法事だのと言い訳をつけて長屋の衆も店の者も誰一人来なかった。烈火のごとく怒った大旦那は「そんな情のない店子には長屋から出て行ってもらう。店の者には暇を出す」と言い出すものだから、みんなしぶしぶ義太夫の会に顔を出す。
このあたりの店子たちの変わり身の巧さや、大旦那の心境の変化が見どころなのだが、そのあたりを鯉昇は必要最小限に割愛して、むしろ大旦那の義太夫でどういう被害が出て、それをどう避けたら生きて帰れるかというところに力点が置かれている。
大旦那の義太夫波動砲のように描く。その声に貫かれた裏の婆さんは、未だに寝たきりだとか、先の番頭は8時間波動にさらされた結果、お店を辞めて海外に逃げ出したとか、釜にといだ米を入れて大旦那の義太夫に曝すと、40分程で炊飯できるとか、燗が冷めたら義太夫に当てて熱くするとか、いい加減な咄が連続で飛び出してくる。
そこに登場するのが四十肩を病んでいる豆腐屋の主人である。彼は、豆腐を作るのに腕が上がらないので困っているとぼやく。
「それじゃぁ義太夫にあてるといいかもしれない」
 と、事情通が言う。
落ちは、義太夫など聴かずに寝込んでしまった中で小僧だけが泣いている。それを見つけた大旦那が「お前だけは義太夫をわかってくれたのか?」と感動すると「違うよ、大旦那が義太夫をやっているところがあたいの寝床なんだ」というところ。
しかし、鯉昇は違った。その落ちがついても噺が進んでいく。
柱の影から「腕が上がった、腕が上がった」という声がする。
「誰だいそんなに褒めてくれるのは?」
 と、大旦那が喜ぶと、件の豆腐屋が腕を回しながら、
「大旦那の義太夫の電磁波で四十肩が治りました」
 という凄い落ちが待っていた。これには会場は大笑いとなったのだった。

 さて、トリをつとめる兄弟子の小柳枝である。演目は「井戸の茶碗」という人情噺。これもよかった。(つづく)