忘れてしまったのか

 手元に、「週刊ポスト」平成23年4月1日号がある。巻頭のカラーグラビアは「爆発する福島第一原子力発電所」、爆発によるキノコ雲は建屋の十倍以上立ち上がっている。まがまがしい写真だ。この爆発による放射能の拡散は都内にも及んでいる。その後の大混乱を国民は忘れてしまったのか。どうすれば大飯原発の災禍動を認められるのだろう。

 3.11直後の週刊誌には、被災地の様子が写真で紹介された。その中には遺体の写真も幾葉か存在する。しかし、時間の経過とともに遺体写真は無くなっていく。テレビなどは端から遺体を排除して被害報道をしていた。だから、被災者や直後に被災地入りをした人間以外の日本人は、3.11の人的被害について、あまりにも無知だ。
 もちろん遺体の尊厳は守らなければいけない。亡くなっているとはいえ、遺体はただの物質ではないのである。日本人として、遺体に最大限の敬意を払いながら、しかし、後世の人への警告として、累々たる惨状を見せておくべきではなかっただろうか。
 それでなくとも日本人は忘れっぽい。現地に何度も入ったワシャですら、その記憶の風化は免れない。いわんや、現地を知らぬ人においておや。

 明治29年6月15日暮夜。三陸一帯を大津波が襲った。死者・行方不明者2万2千人を数える。この大災厄については、『風俗画報 大海嘯被害禄』の絵に詳しい。絵ではあるが、累々とならぶ溺死者や、泥田に逆さまに突き刺さる遺体の姿が痛ましい。だが、そこからは津波災害の現実が見て取れるのである。
 遺体という現実から目を背ける現在の薄ら甘い報道とは比べるまでもない。腰抜けジャーナリズムは、そこで起こったことを死してなお伝えようとしている遺体たちの声なき声を封殺しているような気がしてならない。
大震災直後の『週刊現代』である。グラビアで、仙台市の住宅内で溺死したご老人の遺体の姿を捉えている。階段にもたれるようにして亡くなられた。衣服に枯草のようなものが付着していることを除けば、そこで寝ているといってもいいような1枚だ。どうだろう、この写真が週刊誌に掲載されたことで、ご老人の尊厳が損なわれただろうか。ワシャは、少なくとも「大災害に見舞われて大変でしたね」と手を合わせた。そして、ご老人の姿を拝見し、防災の重要性を改めて痛感したものである。もちろんワシャが痛感したところで、どれほどの効果があるのかは疑問だが、それでも後進のものに、そういった警句を与えることは間違いなくできる。
「オレたちを襲った災害を忘れるな」
 我々は犠牲者たちの声なき声を忘れてはいけない。