科学雑誌の「Newton」10月号の特集が「太陽地球コネクション」である。太陽活動と地球環境がどうつながっているのか検証している。そのままの情報を書き写してもワシャが楽しくないので少しアレンジした。原本が見たい方は本屋に行ってね。
太陽をピンポン玉(40mm)と仮定しよう。ピンポン玉から4280mm離れたところに0.4mmの粒がありこれが地球ということになる。恐ろしくバクッとした表現だが、八畳間の和室を想像してもらいたい。その対角線が5mほどなので、角の柱の前にピンポン玉を置き、対角線の柱の下に数の子を一粒落としておく。そんな感じだと思ってもらえばいい。それがちょうど、太陽と地球の関係になるそうだ。
太陽は太陽系の真ん中に鎮座して、膨大なエネルギーを絶え間なく放出している。それも全方位に向かって。だから、ピンポン玉太陽から出るエネルギーは半径4.28mの球の内面全体に放出される。その内の数の子一粒分が地球の得られる太陽エネルギーということになる。これは、太陽の放出するエネルギーのなんと22億分の1だそうな。別の言い方をすれば半径4.28mの球面には22億粒の数の子が並べられるということだ。
そんなことはどうでもいい。ただ、この22億分の1の太陽の恩恵が得られなければ、地球はたちまち死の星となることだけは間違いない。これが太陽が神であると言い切る所以である。
それにしても地球の全生命を生かすためのエネルギーが太陽エネルギーの22億分の1とはまた微量ですな。大方のエネルギーは宇宙空間に消えていくわけだ。もったいないような気がするのう。
でもね、その22億分の1だけで、なおかつわずか20日分のエネルギーだけで全地球の人類が1年間で消費するエネルギーを賄えるという膨大な量が太陽の底力なのである。凄いな。
この地球文明を22億も養えるエネルギーを太陽はどうやって造り続けているのだろう。
これは難しいので「Newton」から引く。
《太陽は非常に重いため、その中心部の圧力はきわめて高く、温度も1600万度Cと超高温となっている。そのため「中心核」とよばれる、太陽の中心から半径15万キロメートルほどの範囲では、複数の水素の原子核が融合してより大きな原子核にかわる。これを「核融合」という。》
この核融合が大量の熱と光を産み出し続けているんですね。ところが中心部で発生した熱と光が70万キロ上空の太陽表面に到達するのに1000万年ほどかかるそうだ。えらく時間がかかりますな。
しかし熱と光は、表面に出てしまえばあとは早い。太陽‐地球間は1億5000万kmあるが、宇宙空間では光速で進めるから、地球まで8分20秒で到達する。
つまり、今、太陽光があなたの腕を照らし、温めているとするなら、その光は約8分まえに太陽の表面を出た光であり、エネルギーとして太陽の中心部で作られたのは、新生代・第三紀・中新世の頃ということになる。そんなこと言われてもピンときませんよね。
具体的に言えば、人類の祖先の猿がまだ木の上から地面に降りていないころ作られたエネルギーが今手元に届いているということ。なんだか不思議ではないですか。
それに比べれば、たった今、火力発電で作られた電気がこのパソコンを動かしているという事実のなんと刹那的なことよ。
数の子の地球の表面にこびりついてひそひそと暮らしている人類が、わずか22億分の1の太陽光の蓄積でしかない化石燃料を燃やして地球そのものに影響を与えられるのだろうか。ましてや、太陽の影響と勝負しようなんてちゃんちゃらおかしいような気がする。
太陽は2004年ごろからその活動を弱めている。暗くなったと言ってもいい。太陽活動のバロメーターである黒点が無くなってしまったのだ。かつて17世紀に黒点のない時代が60年続いた。マウンダー極小期と呼ばれる寒冷化の時代である。
このあたりの事実を「Newton」10月号の特集は冷静に伝えている。
さあて、これからアル・ゴアさんの言う温暖化の時代が来るか、極小期にともなう寒冷化の時代が来るか、これは楽しみだ。それは神(太陽)のみぞ知る。