遅ればせの事業仕分け

 昨日、三河の某市で「事業仕分け」が行われた。
「え、まだやっていたの?」という感覚が否めない。
 蓮舫委員が白いスーツで「一番じゃなければダメなんですか」の啖呵を切ったのは、ずいぶん昔のような気がする。まぁ、中央からの伝播に時間がかかるから、愛知県の三河部ならちょうど今時分なのかもしれぬ。
 もちろん、野次馬のワルシャワは仕分け現場に行きましたぞ。仕分ける側は、けっこう有名になってしまった「妄想日本」いやいや「構想日本」とかいう団体である。取りあえず幾つかの事業仕分けを神妙に拝聴した。その感想をいくつか並べる。
 まず、小さな市町村の細かい事業に、外部からやってきた仕分け人の仕分けが必要かどうか、ここに疑問を持った。残念ながら、国の事業と違って、市町村の事業というのは、直に住民の目に晒されている。距離が近いのである。だから良きにつけ悪しきにつけ日常的にチェックが入る。ブラッシュアップの度合いが国の大雑把な事業とは元々違う。仕分け人がきちんとやれるか、心配しながら眺めていた。
 そうすると仕分け人から妙な指摘が飛んだ。市町村の出している広報誌についてである。
中核市の平均では一誌26円くらいで作っている。あなたのところでは36円と高い。こういったところにも経営感覚というが、経済観念がなってない」
 というようなことを言った。
 最前列で晒し者になっている係長はしどろもどろになって答えられない。
「そういった贅沢なところを見直して市民のために適正に予算をつかってください」
 と、仕分け人はそっくり返ってダメ押しをする。ワシャは思わず「プッ」と噴出した。この指摘など、まったく仕分け人のバカさ加減を露呈している。そもそも、仕分けをしているこの町の人口を知っているのか?そして中核市というのが、平均でどれくらいの人口を有しているのか分かっているのか?
 極論を言うが、まったく同じ広報誌を人口3万人の町と30万人の都市が作成して、1誌当たりの単価が変わらない訳がない。大量に刷れば刷るほど、単価は下がるに決まっている。中核市と某市に単価差はあって当り前だ。
 こんな質問もあった。
「この事業補助は特定の市民だけを対象にしている。これでは市民の間に不均衡が生じるのではないか」
 この仕分け人、何を言っているのか。市民全員にまんべんなく行き渡る補助などあるわけがない。特定の市民を対象にした補助がニーズによって幾つも幾つも作られていくのが行政というものではないか。まず、その根幹の部分を抜きにしてすっとぼけた質問をするんじゃない。生活に困窮している世帯には生活保護を、老人には高齢者対応を、施設の利用者には施設補助を、それぞれ配分していくのが行政の仕事である。生活保護を全世帯にまんべんなくやりますか。高齢者福祉を若い世代に施しますか。それぞれの事業に、受ける人と受けない人が出るのは当然であり、個々の事業を取り上げれば不均衡でいいのである。全体を通じて、なるべく不均衡をおこさないようにすることが大切であって、単独の事業を論って「特定の市民だけが得をするのはおかしい」って言っているあんたがおかしいって。
 その次に仕分け人が指摘したことに「効率性」というものがあった。
「この事業は効率が悪いですよね」
「効率性をまったく考えていない」
 仕分け人がこの手の発言をするのを度々聞いた。
 これがそもそも違う。効率が高ければ、そんなもの民間がやればいいだけのことで、効率が悪いから行政がやるのである。なにをわけのわからないことを言っているのか。

 市民会館の運営について噛みついてきた仕分け人がいる。
「利用率50%しかないけれども、この状況で納得しているのか。こんな利用率で市民が効率的に利用していると言えるのか。こんなことだから行政のやることは甘いと言われるのだ」
 これに対して市民判定人の一人が意見を述べた。
「この利用率は平日利用も含めた割合であり、土曜日曜はフル回転をしている。平日には仕事をしている市民が多いので利用できるわけがない。50%でもよく健闘していると思う」
 この指摘に対して仕分け人は沈黙せざるを得なかった。もう少し考えてからモノを言え。

 今朝の朝日新聞から引く。
「一年に三万余りが自死したる効率という名の軍靴が響く」
 名古屋市の介護職員の作った歌である。効率を求め過ぎるあまり、その蔭で犠牲になっている命の、その尊さを忘れてしまってはいないか、そう問いかける歌であろう。「軍靴の響き」というフレーズが朝日新聞らしいが(笑)、そのことはひとまず置いておく。
 繰り返す。三河に現れた事業仕分け人たちは頻りに「効率」を口にした。しかし、「効率」が悪くともしなければならないことは五万とある。そのことを見失って、効率のみで事業仕分けをしようとしてもそれはどだい無理な話だと感じた。
 蓮舫が白いスーツで派手派手しく始めた事業仕分けではあるが、「もう旬を過ぎたな」というのが偽らざる印象である。
 ワシャの隣に座っていた老人がボソリと呟いた。
「こんなことに時間と労力を費やすことのほうが無駄だ」