莞爾忌

 ワシャは昭和の軍人に好きな人物はあまりいない。しかし、石原莞爾だけは別格で、東條英機の代わりにこの人が軍のトップになっていたらといつも思ってしまう。
 少し人物を紹介したい。
 石原莞爾は明治22年に山形県鶴岡町の警官の子供として生まれた。頭脳は明晰だった。だから学科の成績は抜群だったが、いわゆる優等生ではなかった。腕白で、とくに修身の行状が悪かった(要は教師の言うことを聞かない子供だった)ために目を付けられる生徒だったようだ。
 中学校二年の夏に仙台陸軍地方幼年学校、陸軍士官学校を経て、少尉に任ぜられ新設の若松歩兵第65連隊勤務となる。この連隊は、東北各連隊の問題兵、嫌われ者ばかりを集めた愚連隊のような連隊で、しかし、そこで石原はのびのびと士官生活を送った。石原は、兵に対し厳しい訓練を課すことで有名だったが、兵たちは、石原の人柄に打たれたのか、皆が石原を尊敬し、石原を中心とする強いチームワークが創られるのである。本人も「最も愉快な年月を過ごし、極めて幸福なもの」だったと述懐している。
 これが東條だったらこうはいかない。東條は、石原と同様に頭脳明晰である。それは自他ともに認めていた。しかし、所詮、知識を詰め込むことが得意な優等生でしかない。こういったタイプは真面目さを教師や親にアピールすることで良い子を演じる。だから修身の行状がいいという典型的な秀才君だった。
 改革派の官僚の古賀茂明氏が、著書『官僚の責任』(PHP新書)で東條のような秀才君をこう定義している。
「秀才型官僚のモチベーションは、自分は凄い奴なんだという自己満足を得たいがため、周囲から称賛されたいがためのものでしかない。志が実に低い」
ここが石原と大きく違うところである。石原は自身のことなどどうでもよかった。大望の前には、自分の存在など一つの機能でしかなかった。反対に、東條に代表される秀才型官僚は、己の価値が異様に高い。自分のことが大好きだから、自分を守るために、畢竟、無謬主義、責任転嫁、組織防衛に突き進んでいくことになる。
 この、両極端の二人が関東軍で出会ってしまった。石原にとって残念なのは、このカリカリの軍事官僚が石原の上司だったことである。抜群の記憶力というもの以外に器量を持ち合わせていない東條に、石原の大きさは理解できない。お猪口の中でどんぶりの体積は測れないのである。
 秀才君、理解できないのは自分の器量が狭いからなどと絶対に思わない。「悪いのは俺様に理解されない石原である」となる。
 だから東條は、石原を無視し続けた。部下を無視するという時点で上司は負けているんだけれど、東條は絶対にそうは思わない。自分は陸軍きってのエリートだと信じきっているからね。要するに夜郎自大な野郎ということでしかないのだけれど。
この姑息な東條に対して石原は「東條上等兵」とあだ名をつけて遊んだりしていたが、相手は関東軍参謀長様である。組織という固陋なものが背後についている。このため石原の発言は封じられ、閑職に回されることとなる。
 国家観、大局観で言えば、石原と東條では大人と子供だった。石原は長期を見据え、広く世界を見渡していた。それに対して、東條は東京のとある町のゴミ箱を点検して歩く程度しかできない。国民が無駄なことをしていないかを調べるためなんだとさ。こんな町内会長のような人物を首相に戴いて、日本が世界戦争を勝ち残れるはずがない。
 石原莞爾の写真はいくつかあるが、晩年に写した和服の写真がいい。つるりと頭を剃りあげて、髭も丹念にあたったのだろう。軍人の頃は剃刀のように鋭かった眼差しが、仏様のように和らいで、その目が遠くを見つめている。軍の要職にあった人というより、修行を重ねてきた僧といった面持ちである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kanji_Ishiwara.jpg
将来、こういった顔になれたらいいなぁ。

 昭和24年の春のことである。石原は風邪をこじらせて肝水腫、乳嘴腫(にゅうししゅ)を併発していた。病状はかなり悪かったが、それでも石原は戦後の日本の状況を憂い『真日本の進路』という論文をしたためて7月8日にマッカーサーに提出している。この無理が祟ったか、8月に入って尿閉塞を起こして、14日夕刻には呼吸困難に陥ってしまう。それでも一旦は持ち直すのだが、翌15日、奇しくも終戦記念日に偉才石原莞爾は彼岸へと旅立った。
 組織防衛のため石原莞爾を目の敵にした東條英機は8か月前に処刑されている。東條に石原を使いこなすだけの器量があったなら、先の大戦はずいぶんと違った形になっていただろう。
 経済産業省が異分子である古賀茂明さんを排除しようとしている。陸軍が石原莞爾を処した対応とよく似ている。
 国家よりも組織の温存、自己のプライドを優先していけば、そりゃぁ国は潰れる。石原莞爾の命日にそんなことを考えた。