ガキの陣地取りでもあるまいに

 以下のPDFの5ページをご覧いただきたい。
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/japan_border_review/no1/03_li_guoqiang.pdf
 この地図で、沿岸国ギリギリのところに二点鎖線が引かれているでしょ、これが支那中国の主張する管轄権海域境界線で、ここまでが自分たちのものだと言っている。この線の引き方の品のなさはいかばかりであろうか。沿岸国の鼻先まで「我領海」と言ってはばからない。
 支那中国はこう主張する。
「そもそも1933年に我領土である南沙諸島にフランスが侵入してきたことが発端である」
 そんなことはない。歴史的に1933年以前に、支那中国がスプラトリー(南沙)諸島の領有を宣言したことは一度もなかった。だいたいあの巨大な台湾島だって「化外の地」として除外していたじゃないか。歴代皇帝が、西フィリピン海にゴマを播いた程度のサンゴ礁に興味があったわけがない。
 そもそもは1939年に、日本が「新南諸島」として領有を宣言したのが始まりで、それまで周辺の政府は存在すら知らなかっただろう。その証拠に、昭和9年発行の『新選詳図 世界之部』には、記載されていない。
 フィリピンの政治家が、支那中国の下品なまでの拡張主義を「むきだしの好戦性」と評している。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110620/asi11062008000000-n1.htm
 そんなことは今さら始まったことではない。チベットウイグル内モンゴルだってみんなそうだ。尖閣諸島パラセル諸島スプラトリー諸島も、争いのすべての根は支那中国の拡大路線にある。このやり方を昔は「帝国主義」と言った。

 かつて、司馬遼太郎さんは国家のサイズを「フランスくらいの大きさがいいでしょう」と言っていた。人口6000万人、面積55.2万平方キロである。その程度が統治もしやすく、行政の目も隅々までいきわたる。
 支那中国は少し重すぎる。人口にしてフランスの21倍、面積にして17倍をひっくるめて統治しようとすれば、どこかに無理が生じる。20に分割せよとは言わないが、せめてその半分の10くらいに分割して、緩やかな連邦体制をつくっていけばいいような気がするのだが。
 西フィリッピンのゴマですら欲しいのだから、とても無理だろうなぁ。