英語教師との思い出 その2

(上から続く)
 さて、ワシャにも英語教師との思い出がある。ワシャの場合は高校1年の最初も最初、ギョロ目の英語教師が教壇で自己紹介をした直後のことだった。
「ミスターワルシャワ〜」
 と、ワシャの顔を見て言う。後で知ることになるのだが、この教師、生徒に対して「ミスター山田」とか「ミス山本」とか呼び掛ける癖があるのだった。ワシャは、そういう洋風かぶれみたいな、キザな野郎が嫌いだった。だから、
「だれがミスターやねん!」
 と無視をしていると、さらにでかい声で重ねて「ミスターワルシャワ、セクションワンを訳しなさい」
 と叫ぶ。
 仕方ないので、立ち上がって教科書を眺めるのだが、予習していないからよく解らない。
「わかりませ〜ん」
 と日本語を覚えたばかりの外国人を気取って答えると、「ドッ」と教室が沸いた。
「うけた?うけた?」
 と仲間の顔を見回すと、仲間たちは親指を立てて笑っている。
ところがギョロ目には面白くなかったらしく、顔がみるみる赤くなっていく。そしてツバキを飛ばしながら、「シッダーン」と言う。
 もちろん立っているのは嫌だからさっさと座りましたがな。
ギョロ目は、ワシャの代わりに女子生徒を指し、その子はスラスラと教科書を読み、ギョロ目は「ベリーグッ」とほめたのだった。

それ以来、その教師には祟られましたなぁ。教師は尊敬されるべきものだと信じ込み、英語文化をこよなく愛しているその教師にしてみれば、ワシャのように教師を教師とも思わず(尊敬している先生には丁寧に対応しますよ)、アメリカよりも日本が好きなふざけた生徒は許されざる生徒であり、排除に値する不良であった。
 こっちだって日本男児だ。「ミスター」などと生徒に呼びかけるアメリカかぶれのフニャ〇ン男に英語など教えてもらいたくないわさ。
 そんなわけで、1学期1時限目のファーストコンタクトにおいて、ワシャとギョロ目の関係は決裂したのだった。ただ、残念なのは司馬さんは独学に目覚め、国民作家として大成していくわけだが、ワシャは、なんにも目覚めなかったので――目覚めたのは性に目覚めたくらいかなぁ――アホなまま成長してしまった。

 それでも、このギョロ目の英語教師との3年にわたる確執は、その後の人生において、いろいろな場面で役に立った。それはギョロ目が偉かったわけではなく、災い転じて福となしたワシャが偉かっただけなのである(エッヘン)。

 30年ぶりに同窓会があって、ギョロ目に再会したが、やっぱり嫌な野郎だった。ワルシャワ少年の人を見る目は間違っていなかったのだ。