設楽ダムの存廃について その1

 長年の自民党政権下で培われてきた土建行政のツケがここにきて大きな問題となってきた。
 そもそも、巨大なコンクリート構築物のダムと、その周辺の道路整備などが大手ゼネコンを潤し、そこからこぼれてくるお余りで地域の土建屋に金が流れる。名宰相の田中角栄が造り上げた金の還流システムである。この恩恵を一番にあずかったのが新潟県だった。
 これが良くも悪くも手本となった。自民党の小ボスたちは自分の票田に公共事業を引っ張ってくることに血道をあげることになる。
 元々、公共事業を地元に誘導するという政治家の姿勢に思想は感じられない。ダムができて故郷の利便性が向上するとか、経済発展するとかではなく、とにかく巨大な利権が動くことに意義があり、そのことこそが全てのことに優先する。その程度の考えて、政治家も霞ヶ関も県も動いているから、地元住民が右往左往することになる。
 設楽ダムの話が浮上してから、すでに40年の歳月が流れた。壮年期にダム問題にかかわった人はすでに鬼籍に入っている人もいるだろう。永い歳月を国の方針変更に翻弄されながら生きていくというのも、かなり辛かろう。
(下に続く)