首長図鑑(バカ系) その3

(上から続く)
 ミャーミャー総統も「民意」を誘導しようとしている連中も、減(税)爆(弾)を炸裂させれば、旧態依然とした街(システム)が吹っ飛び、翌日にはその跡地にまっさらの街が建ち上がるとでも思っているのだろうか。
 明治帝というカリスマと、日本人の持つ知恵、財力をすべて投じても、維新前の江戸のような平安な時代を取り戻すのに、いったい何年掛かったと思っているのか。そのためにどれほどの国民の血が必要だったか。

 私は基本的に明治維新を信用していない。ある時期をもって純粋な志は、一部の人間の権力奪取のための手段になり、後半は単なる権力闘争と化してしまった。このために意味のない争いが長期にわたって繰り広げられ、無駄な血が流されたと思っている。
 歴史に「もし」はありえないが、それでも言わせてもらえば、嘉永からの十五年騒動では、徳川慶喜を首班にした賢明な大名やそのブレーンによる改革もありだと思っている。そのほうが、その後の日清、日露、日支から続く先の大戦にいたるいばらの道は辿らなかったかもしれない、とも思っている。
 話が大きくずれたので修正する。
 名古屋市民はシステムを壊しても、すぐに次の機能が回復して翌日から幸せな市民生活が送れるなどということを思っていてはいけない。ミャーミャー総統の行き当たりばったりの政策では迅速な回復など無理だ。ああいう人は困ると「考える」のではなく「怒鳴る」ばかりなのだ。「テーブルをひっくり返す」だけなのである。
 そんなことは「たけしのTVタックル」のスカスカ発言を聞いていれば理解できると思うのだが、ずいぶんたくさんの名古屋市民が「TVタックル」を見ていなかったんだね。
 この破壊が完遂されれば、名古屋の復興には10年が掛かるだろう。10年で、立ち直ればいいほうで、この破壊を切欠にして名古屋は北九州になっていくかもしれない。
 
 月曜日の「TVタックル」で出来のいい首長の三重県松坂市長と茨城県高萩市長を前にして、三宅久之さんがいみじくもこう言った。
「民主主義というのは手間が掛かるものなのだ」
 民主主義の手続きを短縮しようとする輩は、知恵が足りず、我慢が足りず、思慮が足りない。要するにバカということ。古今東西、バカが政治をやって民が幸福になったなどという例を寡聞にして知らない。
 バカな例がこんな近くでさく裂しようとは、はっきり言ってありがた迷惑だ。