日蓮の偉業

 一昨日、近い身内の葬儀があった。先週、緊急入院をしたと思ったら、あっという間に亡くなってしまった。まぁ83歳でもあるし、それほど苦しまずに彼岸に旅立ったことをよしとしている。
 その人の宗旨が日蓮宗だった。ワシャはもちろんいろいろな宗派の葬儀に顔をだしているが、日蓮宗は初めてである。
 これが面白かった。面白いと言っては仏様に失礼かもしれないが、葬式を飽きずに見られたのは初めてだった。それほどまでにエンタテイメントな葬儀だった。

 葬儀は午前10時に始まった。
 本衣に黄被の七条袈裟をかけ燕尾帽子をかぶった導師が随伴の僧侶2人を連れて「南無妙法蓮華経〜」と誦しながら登場する。日蓮宗の僧侶は声がいいと聞くが、確かによく通る声だ。セリを仕切るだみ声のオジサンと同じ声だった。
 導師が祭壇正面の椅子に坐し、随伴の僧侶が導師の斜め前に向かい合って坐る。ここからが派手だ。祭壇向かって右側の僧がシンバルのような「妙鉢」と、木魚ならぬ「木柾」の担当である。「木柾」は木魚よりかなり甲高い音を出す。来賓席側の僧は「銅鑼」と「おりん」の担当だ(おりんというのは「チ〜ン」と鳴らすやつね)。この4つの鳴り物を総動員して「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経〜〜〜〜」に合わせて「ジャンジャンジャンジャン……」「カンカンカンカン……」「ジャ〜ンジャ〜ン……」「チ〜ン……」ときたもんだ。
 その賑やかさに、ワシャは思わず吹き出しそうになってしまった。でもね親族席の喪主の後ろに座っているので笑うわけにもいかず、ものすごく苦しい思いをしましたぞ。その後、脇の僧が導師に先端に赤い切れのついた長さ30センチほどの角材を2本渡した。「なんだろうな?」と眺めていると、導師、受け取ったそれをぽいっと投げ捨てた。「およよ、ハプニングか?」と思ってその木切れを拾おうと思ったら、葬儀屋のオジサンがワシャを睨んで首を横に小刻みに振っている。どうやら「拾うな」ということらしい。それでも、導師様が落としたとしたら拾ってあげないと……と手を伸ばすと、葬儀屋はますます怖い顔になって口を何度もパクパクさせてワシャを止めようとしている。仕方がないので手を引っ込めた。後で確認したところ、その木切れは「松明」なのだという。それを投げることも儀式の一環で、衆生のワシャらは手を触れてはならないものらしい。
 葬儀は大騒ぎの中、30分程で終わった。早い。ワシャの出た葬儀の中ではもっとも早かった。でも、とても明るく楽しい葬儀だった。なんのこっちゃ。