たまには仙谷さん話題から離れようっと その2

(上から続く)
 昨日、ある歴史講演会に行ってきた。講師は某大学の名誉教授でK先生としておこう。お題が「満洲国」だったので、聴講に行ったわけだが、始まって5分で「東大サヨク系」の史学博士だということがわかった。
 言っていることは、サヨク史観に彩られているので、時折、奇天烈な発言もあったが、でも、ワシャはS理事長のように偏った人間にはなりたくないので最後までしっかり聞耳を立てていましたぞ。左巻きの部分だけ削ぎ落とせば、満州国成立を1100年代まで遡って解説してくれたので、満州国史が体系的に理解でき、腑に落とすことができた。
 とくに「満洲」という名詞が「文殊」から来ているという話には目から鱗が落ちた。
 万里の長城以北、黒竜江沿岸から外興安嶺(がいこうあんれい/スタノボイ山脈)に至る広大な地に住したツングース系の女直族(じょちょくぞく)が1115年代に中国華北に金という帝国を打ち立てた。金はその後、115年にわたり漢民族の上に君臨するわけだが、その政策は苛斂誅求を極めた。このために漢民族にとって「金」という帝国名には禁忌となる。
 下ること400年、再びツングース系女直族は中原に駒を進め出た。この時には「後金(金王朝の後継)」と名乗っていたが、明王朝を滅ぼし、女直族の50倍の漢民族を従えるには「後金」では印象が悪い。何かいい名前はないか、と後金の知恵者たちは考えたんでしょうね。
「そうだ、文殊菩薩から音をもらって満つる洲でマンシュウはどうか?」
 てなわけで満洲族と自称し、漢民族支配に乗り出していく。後金こと満洲族は善政を敷いたのでその後20世紀まで300年もの長きにわたって王朝を維持することになる。