勉強をしたい人に機会を その2

(上から続く)
 もう一つ思い出した。何の本だったか、浅田次郎の文章だったような気がする。う〜ん、どこかにあったぞ……(只今、本を探し中)……(只今、本を探し中)……。
見つけた!2007年版ベスト・エッセイ集『ネクタイと江戸前』(文藝春秋)だ。この中に浅田次郎の小品が載っている。これだ。その中の文章である。
《私の祖父は二の腕に彫物を入れた博奕打ちで、祖母は深川の鉄火芸者だった。そもそもは武家であったらしいが、明治維新で落魄したあと、孫の代にはそういうことになっていた。教養のかけらもない二人ではあったが、身なりはいつもきちんとしており、背筋は凛と伸びていた。》
 エッセイは、浅田さんが、ネクタイをしないクールビズを批判したもので、サンダル履きで地下鉄に乗る人に、眉を顰めた祖父母の思い出話から書き起こされている。
 浅田さんは、祖父母を「教養がない」と言っているが、外に出るときには必ず身だしなみを整えることを身上としていた人が無教養であるわけがない。たぶん「学歴はない」というニュアンスなんだろう。

 無着成恭『山びこ学校』(岩波文庫)に江口江一(えぐちこういち)という少年の書いた作文が載っている。題は「母の死とその後」、書き出しは「僕の家は貧乏で、山元村の中でもいちばんぐらい貧乏です」から始まっている。400字詰め原稿用紙にして26枚にも及ぶ大作で、自分の家の境遇や、家の収入支出を細かく分析して、その結果を考察し、貧乏から抜け出すことの難しさを訴える見事な文章となっている。とくに村から扶助料をもらうことに恥じ続けた母の死の前後の描写は涙なくしては読めない。
 江口君は、勉強の好きな少年だった。「学校にはぜひ行きたい」と言っているのだが、家業のタバコ栽培を担っているので、学期中、1日か2日しか学校に行けない。

 国家は、こういった勉強が好きだが家庭の事情で学校に行けない子をなんとかしなければいけないわけで、勉強などしたくもないが、働くのも嫌だというような「怠け者」を大量生産してどうするつもりだろうか。F高校など無償化してもなんの得もありゃしない。嗚呼、バカが国家をやっている。