日本人骨抜き計画 その2

(上から続く)
 おっと、思わず玄関先で読み込んでしまったわい。すでに、周囲はずいぶん明るくなっている。
 書庫に引っ込みながら、新聞の日付を見ると「4月23日」だ。おやぁ、何だか記憶に残っている日付だわさ。暗い書庫に戻って文献を調べてみると、案の定、今日は幕末維新の中でもかなり重要な日でござった。
 1858年の今日、幕末の小沢一郎と言われた(言われてないか)井伊直弼大老に就任し、この後、強権を発動することになる。
 また、4年後の今日、京都伏見の寺田屋薩摩藩攘夷派の志士が、同じく薩摩藩士によって鎮撫されるという事件があった。仲間が仲間を討つ、親友が親友を斬らなければならない悲しい事件だった。命を惜しまない若者たちは、新しい世を見る前に自らを時代に捧げるようにして死んでいった。彼らには骨があったのだ。
 今の世に、時代のために、他者のために命を投げ打てる者がどれほどいうのだろうか。低級な笑いに喉ぼとけを晒し、騒音と煙まみれの博打場に足を運び、刹那的な快楽ばかりを追い求める今の風潮にはほとほと嫌気がさしている。
 寺田屋で敵(といっても親友)を押さえ込んだ有馬新七は仲間を呼びこう言った。
「橋口、橋口、俺(おい)ごと刺せ、俺ごと刺せ」
 司馬さんの筆はこう続く。
《有馬のくそ力で壁に押しつけられている道島も、いまは討手とはいえ、親友であり、同志である。しかし有馬、容赦しない。武士の死は、一人でも敵を殺して最期をかざるのが薩摩武士の「教養」であると信じていた。》
 己の命など羽毛よりも軽いと思っていたいさぎよい武士たちがいなくなって久しい。