黄砂ふり 一人ぼっちの 午前中 その1

 年度末も押し迫って公私ともに忙しい。少し疲れ気味かもね。
 それでも、昨日は1ヵ月に1回の荘子塾だった。こればっかりはどうしても参加したい。だから、午後の時間を空けるために、午前4時から仕事を片付けはじめましたぞ。
 午前7時、一段落ついたので、しんとしたリビングにゆく。家族はみんな週末から外出して家の中にはワシャしかいない。寂しいからというわけでもないがテレビをつける。日曜日は「NHK短歌」と「NHK俳句」をバックグラウンドピクチャーとして流しながら朝食をとることにしているのだ。この2つの番組は語彙を増やすのに役に立つからね。
 朝食といっても、面倒くさいのでトースト1枚とカフェオレだけ。だからすぐに済んでしまう。後は新聞や本を読みながら、時折、テレビに視線を送りながらゴロゴロしている。
 およよ、いい歌が目に止まった。
まあだだよ 声の余韻を 探し行く ひとりになりし 鬼となる祖母」
 特選の歌である。
 情景としては、地方の旧家の和室が目に浮かぶ。孫たちと祖母が広い屋敷をつかってかくれんぼをしている。祖母が鬼になってしまったんだろう。柱にむかって目を隠し「ひとーつ、ふたーつ、みーっつ……」と十まで数えたんでしょうね。ばたばたと走りまわっていた孫たちが、それぞれの隠れ場所に潜んで声を閉ざすと、屋敷に流れていた時間が止まったように森閑となる。
 祖母は無言で柱から離れると、孫たちを探しに和室から縁に出ていくのである。
 和室から出ていく祖母の顔は、ワシャは笑っていないような気がする。もちろん、孫を見つけたときには、「○○ちゃん見つけた」と笑顔を見せるのだろうが、老域に達した強かな女は一人の時に無駄な笑みを見せないのではないか。「ひとりになりし」は、この祖母が「独居」していることを連想させる。たまたま今は都会から子供たちが孫を連れて里帰りしているので、屋敷内は賑やかだが、普段は孤独なような気がする。
 そして「鬼」は「鬼籍」などにも通じ「死」をイメージさせる。とするならば、「探し行く」は「探しゆく」とした方が「逝く」につながって、隠滅な雰囲気が広がるのではないか……。久々に印象的な歌だった。
(下に続く)