泣くな信成

寛政重修諸家譜
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%94%BF%E9%87%8D%E4%BF%AE%E8%AB%B8%E5%AE%B6%E8%AD%9C
によれば、フィギアスケートの織田信成は戦国の覇王織田信長の七男である信高を祖としている。信高に「信長の子である」ということ以外に手柄はない。主筋であるということで秀吉から近江国神崎郡に二千石の扶助を受ける。その後、徳川家康に所領を安堵され、旗本に組みこまれる。
 織田信成くん、世が世ならば直参旗本高家二千石の殿様だった。その信成くんがスケート靴の紐が切れて泣いた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100219-00000156-jij-spo
 覇王信長の末裔が紐ごときで泣いてはいけない。
 
 そこで織田家にまつわる「紐」の話を。
 と、思って、紐探しに『信長公記』をながめたり、司馬遼太郎の『国盗り物語』を開いていたら、ついつい引きこまれて『国盗り物語』を読み込んでしまった。気がつけば2時間があっという間に過ぎている。それほどにこの名作は面白い。とくに、斎藤道三の娘、帰蝶が信長に嫁ぐくだり、尾張の信長という評判の悪い婿を見極めようと奔走する舅道三の姿が滑稽で、木曽川べり富田正徳寺での舅と婿の初対面のシーンは何度読んでも痛快だ。
 ここに「紐」が出てくる。
 道三は正徳寺対面の前に、信長の本質を見極めたいと思い、信長がやってくる街道沿いの民家に身をひそめて待っていた。やがて街道の向こうから千の兵隊を引き連れて信長がやってくる。
《馬上の信長は、うわさどおり、髪を茶筅髷に結び、派手な萌黄のひもでまげを巻きたて、衣服はなんと浴衣を着、その片袖をはずし、大小は横ざまにぶちこみ……》狂人のような格好であらわれた、と司馬さんは書く。
 これをみた道三が「婿があのようないでたちなら、自分はこのままの平服でいいだろう」と裃、長袴に着替えず対面の場に出る。ところが信長は《髪をつややかに結いあげて折髷にし、褐色(かちん)の長袖に長袴をはき、小さ刀を前半(まえはん)にぴたりと帯び、みごとな若殿ぶりであらわれ》た。信長が萌黄の紐で道三から一本取った。
 靴紐を萌黄色にしておけば、信長公のご加護があったかもしれない。残念だったね信成くん。