火坂雅志の話

 昨日は久々の休みだと思ったのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。緊急連絡が入り午後から出勤した。夕方から隣町で、作家の火坂雅志の講演会があったので、それには行きたかったので、さっさと仕事を済ませる。

 隣町の市民会館に着いたのは会場の5分前だった。すでにロビーには入場を待つ200人ほどの行列が出来ている。午後6時開場、この人数なら慌てることもない。ゆっくりと入っても、最前列の席を確保した。一緒に聴講するはずのパセリくんの姿が見えないが席だけは確保しておいてあげよう。席に荷物を置いて、用足しを済ませ、パセリくんに電話をする。彼は優秀な公務員だが、時折、とぼけた面を見せることがある。今日の講演会も忘れている可能性があるからね。
「えええ!今日だったっけ」
 やっぱり忘れていた。

 さて、火坂さんの話である。火坂さんと言えば、NHK大河ドラマ天地人」の原作者である。もちろん『天地人』(NHK出版)は読んだ。それに安土桃山時代の医師である丹波全宗の生涯を描いた『全宗』(小学館)を読んだくらいかなぁ。あんまりピンとくる作家ではなかった。お話をうかがえば、大変ご苦労をなさっているとか……30歳で作家デビューして、書いては出し、書いては出し、10冊出しても売れず、20冊出しても売れず、30冊出しても売れず、40冊出しても売れず、50冊出してもまったく売れなかった。すでにデビューから20年が過ぎ、齢50を過ぎていた。ご本人曰く「底冷えのような気持ち」に陥ったそうだ。
「ああ人生というものは努力しても努力しても報われないということがあるものなんだな」と火坂さんは諦めかけていた。それが2007年の春先に自宅に1本の電話が掛かってきたことで、大きな人生の転機を迎えることになる。自作の『天地人』が大河ドラマに取り上げられたのだ。「底冷えの気持ち」から一転、天にも突き抜けるような喜びに襲われたそうだが、これがまた「悲しみに似た感情だった」と言う。作家というものは複雑でやんすな。
 講演の詳細は、ドラマ「天地人」の裏話と、戦国後期の歴史の話だった。信長、秀吉、家康にまつわる話は周知の話ばかりで退屈だった。越後目線の戦国史という部分は興味深かった。
 火坂さん、とても色の白い人で、指先から袖からのぞく下膊まで雪のように白い。やはり越後の人は色白なんだ。
 そして講演終了後、火坂さんは、何度も何度もお辞儀をして舞台下手へと消えた。苦労されているので腰が低いとみた。さすが越の人だ。なんのこっちゃ。