ESD その2

(上から続く)
アジェンダ」などと横文字になっているから、なにかテーヘンな内容が書いているかというとそうでもない。会議の協議事項が羅列してあるだけで、これだけでは「絵に描いた餅」である。
 明後日の自分のために要約を書いておこうっと。
 要するに、現在の環境問題を解決するために、「環境学習拠点整備」「環境ボランティア、専門的人材の育成」「学校における環境教育」「情報提供」「意識啓発」「行政職員に対する研修」「行政と民間団体との協力」に取り組めと言っているだけだ。

 これを受けて、2002年に、お調子者の日本政府がヨハネスブルクサミットにおいて、「それなら、ESD(持続可能な開発のための教育)の10年実施計画を作りましょう」と言い出して、2005年の「国連ESDの10年國際実施計画案」の策定につながっていく。この「実施計画案」も読みましたがな。A4で65ページもある資料である。作ったのが、住民からもっとも離れた天の上の国連だから、まぁ、これもはっきり言えば「画餅」でしかない。その例を挙げる。この計画には「持続可能な開発」を続けるためにこんなとんでもない目標が掲げてある。
《人々が人間及び市民として尊厳のある方法で権利を行使することができる世の中で、より悩みが少なく、より空腹でなく、より貧乏でないように、平和裏に人々が共存することを達成する》
 中国、インドが化石燃料をがんがん燃やして経済発展を進めている現在、どこをどう押せばこんなきれいごとが出てくるのだろう。
 こうも言っている。
《世界中のすべての人々の尊厳と人としての権利を尊重し、すべての人々のための社会的・経済的な公平さにコミットする》
 チベットウイグルの人々の尊厳はどうなっているのか。理想論のお題目などどうでもいい。具体的にどうするのかということが盛りこまれていないじゃないか。
「ESDは世界中の人々の価値観を問題にしています。中心におくべきものは、他者の尊重、相違と多様性の尊重、環境の尊重、地球資源の尊重です。ESDは、すべての者が生活基盤を奪われることなく満ち足りた生活を送ることを可能にするための実践です」
 ユネスコは、この机上の空論を実現するために何千年費やすつもりなのだろうか。