森繁久彌と死

男はつらいよ』ファンのワシャは、森繁さんというと、「知床」より「五島」を思い浮かべてしまう。第6話「純情篇」に58歳の森繁さんが出演している。五島玉の浦の船宿の主人役で、本編とは関係のない旅先エピソードの中のチョイ役である。それでも、森繁さんの存在感は大きい。駆け落ち同然に五島を出た娘(宮本信子)が亭主を捨てて舞い戻ってきた。暗い船宿の座敷で、娘に父親が諭すシーンが強く印象に残っている。
「おいは、そう長くは生きとらんぞ、おいが死んだら、お前はもう帰るとこはないようになる……その時になってお前が辛かったことがあってもクニに帰りたいと思っても、もうそれは出来んぞ」
 図らずも森繁さん、このシーンで「死」について語っている。

 昭和59年に森繁さんは1冊の本を上梓している。『人師(じんし)は遇い難し』(新潮社)、雑誌「新潮45+」に連載されたエッセイ集である。年齢的には70歳頃だろう。
 この中に「時は巡り友は去り」という一編がある。俳優仲間で親友の山茶花究(さざんかきゅう)の死にまつわるエピソードや、ライバルの八波むと志(はっぱ六十四)の死ぬ間際の話、あるいは若くして南冥の空に消えた脚本家の向田邦子の碑に「花ひらき花香る。花こぼれなほ薫る」を認めた話などが書かれてある。

 同じ時期に『ふと目の前に』(東京新聞出版局)というエッセイ集も出している。その中に「鳥取行き」という編があって、その最後はこう締めくくられている。
《木が風で倒れ、やがて菌がつきキノコが生え、それが多種と物すごい戦争をして木を食い散らし、やがて、大木は土に帰ってゆくという。》
《朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり》
 ここでも「死」がテーマになっている。この人、晩年はずっと死について考えていたのではないだろうか。