生き方の達人

 午前4時30分、新聞を取りに庭に出る。ふと南天を見上げると冬の王者「オリオン座」が強烈に輝いていた。

 昨日、エッセイストの麻生圭子さんの講演会が某所であった。麻生さんの本は何冊か読んでいる。読みやすい文章を書く人だと思っていたし、なにしろきれいな人だと聞いていたのでさっそく出掛けましたがな。
 会場入りしてきた麻生さんは洋服だった。黒のシックなスーツにやはり黒のブーツを履いている。トレードマークの着物ではなかったので、これだと町ですれ違ってもわかるまい。出掛ける時に京都は大雨だったので洋服にしたと弁明していたが、いやいや洋服もなかなか素敵でしたぞ。
 講演は、彼女の代表作でもある『京都で町家に出会った。』(文春文庫)の内容に沿った古民家居住奮闘記だった。クーラーもヒーターも使わない、打水、葭戸、火鉢で過ごしているという。およそ文化的な生活に背を向けた昭和30年代の生活を実践しているのは凄い。そんな日常をさらりと披露されたが、「蛤御門の変」で焼失し、その直後に再建された築140年の町家を維持管理して住み続けるのは大変な労力だろうと推察する。

 麻生さんは東京生活が長かった。世田谷の自宅と別にメゾネット式の仕事部屋を持ち、最新式の家電に囲まれて、移動手段は最高級のポルシェという生活だったそうだ。それが京都に移り住んで、まったく反対の生活になった。でも、京都の不自由な生活は、麻生さんにフィットしたようである。友人のシナリオライター大石静さんがこう言っている。
「見事に京都の町にとけこんでおり、麻生さんが京都で見つけた生き方や価値観が、素直に現れている」
 ワシャもそう思う。
 講演の後で少しだけ「生き方の達人」とお話する機会を得たが、話していて思ったのが、不便というのは必ずしも不幸なことではないと感じたのだった。
 でも、便利な生活にどっぷりと浸かってしまった今のワシャには、麻生さんのような生活は出来ないだろうとも思った。

 ここまで書いてふと外を見れば夜が明けていた。もちろん南天に巨人の姿はない。さて「生き方下手」の凡人は、そろそろ仕事に出掛けるとするか。