地方選2題

 徳川家康の麾下に榊原小平太という武将がいる。永禄3年というから桶狭間の合戦の年に大樹寺で家康にお目見えして近習となった。小平太15歳の時のことである。それからは大車輪の活躍で波乱万丈の生涯をおくり、徳川四天王と呼称されることになる。家康の天下統一に抜群の貢献した家臣の筆頭と言ってもおかしくない。
 小平太は慶長5年(1600年)、53歳の時に徳川家の最高行政官の老中となる。しかし、「老臣権を争そうは亡国の兆なり」として、老人が政に関与することを潔しとせず、若い本田政信や大久保忠隣らに政治を委ね表舞台には極力立たないように配慮した。この凛呼とした生き様は、まさに名将と言っていい。小平太、諱(いみな)を康政、上野館林で10万石を治め、慶長11年、徳川幕府が二代目の秀忠に継がれるのを確認して59歳の人生を閉じた。
 昨日、愛知県西尾市に榊原康正という人物が市長になった。無投票当選だった。榊原康政とは一字違い、訓みはまったく同じである。ある意味で大きな名前だ。前市長が大馬鹿野郎だっただけに、この人には榊原康政にあやかって、西尾市のために頑張ってもらいたい。
 ただね、戦国の康政は53歳で身を引き、平成の康正は69歳で新人市長となる。康政が身を引いた後に、徳川幕府には若き優秀な行政官たちがあまた登場し260年の繁栄の礎を築いた。それに比べると、1期終われば、73歳になる行政トップが西尾市の将来に新鮮なビジョンを描けるのだろうか。西尾市民が無投票で選んだんだから、きっと立派な人なんだろうけれど、中日新聞三河版のアップの写真はいかにも爺さんだ。対抗馬はいなかったのかいな。志の高い若手はいなかったんかいな。
 それにこの人の父親も40年前に西尾市長選に出馬している。落選したらしいが、地域の有力者であったことは間違いない。40年を経て榊原一党が返り咲いたということなんだろうね。地域の政治が一部の老人たちに委ねられているという構図がはからずも顕在化したようだ。

 でも、面白い兆しもある。神奈川県横須賀市で自民、公明、民主が支援し、なおかつあの小泉さんまで押した現職候補が落選した。この勢いが続けばあの世襲議員を阻むことも出来るかもしれない。がんばれー、まともな横須賀市民!