平和都市宣言 その1

 全国1781自治体のうち1200程度が何らかの平和宣言をしているという。全国の自治体がお題目として平和を希求することはやむをえないことだろう。市民の中に「平和」という概念を信奉する集団が一部いる。そこから平和宣言の要望が出されれば、誰もが首肯せざるを得ないシロモノであるだけに、行政サイドとしては採択せざるをえない。
 1200の自治体のどの平和都市宣言も二つのことを言っている。「核兵器の廃絶」と「世界の恒久平和」である。願っているだけだから屁のつっぱりにもならないが、多くの自治体が祈ることで、その願いは天に通じ、神様が平和をもたらしてくれるとでも思っているのだろうか。残念ながら国際政治というのはそれほど甘いものではない。地政学的に極東を見れば、日本という海洋国家が、中国・ロシア・北朝鮮という核保有国に脅かされているのが分かるだろう。そのために日本はアメリカと同盟を結んでいる。もちろんアメリカは核保有国である。日本はアメリカの核の傘に入ることで安全保障が得ているのだ。
 これが現実である。そのことを踏まえて、なおかつ、「核兵器の廃絶」という空論を掲げるというならばそれはそれでいい。多分、一万年後には、化石資源が枯渇し、人類の規模はずいぶん小さくなっていることだろう。少数の人類が世界に散らばって自然から得られるわずかなエネルギーで細々と生き伸びているに違いない。そうなれば核戦争を起こすほどの体力は完全に失われている。だって、そのころまでには兵器として用意していたウランなど、すべて産業用のエネルギーとして転用し使いきってしまっているだろうから。
 このように、サヨクのいう「核廃絶」はほっておいてもいずれ成る。人間の数が減れば、必然的に争いもなくなり、「平和」も訪れるだろう。そういったとてつもなく遠い未来のことを願っているということであるなら「平和都市宣言」も無意味ではないと思う。
 パシフィズムという言葉がある。平和主義という意味なのだが、この言葉には軽蔑の底意が含まれている。だから欧米では平和主義者というのは、「無責任な綺麗ごとばかりいういやな奴」のことを言っている。地方自治体がこぞって空疎な平和主義宣言を奉り喜んでいる国というのは脳天気で幸せなことだ。
(下に続く)