山の話

 こんな話を思い出した。
 山間の集落を訪れた時、山守の爺さんと一緒に山歩きをした。爺さんはけっこうな歳にも関わらず、獣道のようなところをひょいひょいと身軽に駆け上がっていく。手入れの行き届いた杉の林を案内されて、山頂付近で昼になった。林の中にぽっかりと広場があった。日当たりがよく青空の元で里から持ってきた握り飯を食おうと切り株に腰を下ろす。そうすると爺さんが言う。
「そこで食ってはいけない」
 爺さんは杉木立の下の暗い場所で握り飯を食い始めた。不思議に思って理由を問うと、爺さんはこう言った。
「オラたちが広場で飯を食っていると、カラスが必ず寄ってくる。ヤツら目敏いからねぇ。そうするとね、ヤツらは、ほら、広場のまわりに植えてある若木の先端に止まってオラたちの様子をうかがうんだ。別に襲ったりはしねえ。ただ見ているだけだ。でもね、それが若木には害になるだよ。カラスが先端の芽を折っちまうと、そこからは木が真っ直ぐに伸びていかなくなる。だからオラたちは目立たねぇように林の中で飯を食わなきゃなんねぇ」
 この山守の息子は都会に出ていったそうだ。だから爺さんの後継者はいない。彼が死ねばこの手入れの行き届いた山も荒れてしまうだろう。そして何よりも「カラスの見えるところで飯を食うな」という伝承が消えてしまう。代々山守に伝えられた山のルールが途絶えるのが惜しいと思った。

 今、不況になって山仕事が見直されている。ごくわずかだが若者が山に戻り始めた。今ならまだ遅くない。この山守のような貴重な人材があちこちにいるからだ。彼らについて山仕事をすれば10年もすれば立派な山守になれる。体はきついが慣れれば70の爺さんでも楽しげに山を巡っている。ストレスに身を削って都会で暮らすよりもずいぶん人間らしい生活がそこにはある。
 ワシャが若ければ、体力に自信あればすぐにでも山に入って爺さんに弟子入りするのだが……
 最後に阿呆の話になってしまうが、低能な給付金を山の再生に使ってみろよ。年収400万円を保証しても5万人を10年間山に入れられる勘定だ。そうすれば日本の山は必ず再生する。ばか首相がどこぞの宗教団体の口車にのせられて2兆円をドブに捨ててしまう。それでいいのだろうか。