公開討論会の疑問

 違和感があった。先月の1日に行われた知立市長選の公開討論会である。

 選挙自体は、1期目の自民現職に新人が挑戦するという選挙戦となった。結果は、清新で真面目な新人候補が、ダーティな噂の絶えない現職を大差で破った。現職は、当初から危機感を持っていたようだ。このために国会議員を始めとして凄まじい運動を展開し、400の団体から公認を取り付けた。片や新人候補は20とか30といった数だったと聞いている(数字については伝聞なので違っていたらごめんちゃい)。
 最終日の駅前の街頭演説も、現職は300〜400人の人間を動員し、国会議員までが演台に立って絶叫した。「自民の火を消すのか!」と言っていたらしいが、この選挙って国政選挙だったかいな。片や新人候補は20人程度のギャラリーしか居らず、駅前決戦に限ってみれば、その差は歴然としていた。
 しかし、勝ったのは20人の前で演説をしていた新人の方である。何百も公認を取り付けて、駅前広場を埋めるほど動員をかけて……という旧態の選挙戦のかたちが通用しなくなっているということを現職は読みきれなかった。新人候補は市会議員の頃から、年間100回を超える街頭演説をこなすことで市民に向かってメッセージを送り続けてきた。選挙の時ばかり大騒ぎをしても無駄だということが証明されたわけやね。

 話がずいぶん脇に逸れた。公開討論会のことである。某大学の教授がコーディネーターを務めているのだが、この先生の司会進行に違和感を覚えた。この人、あちこちの自治体で公開討論の行司役を務めている。三重県岐阜県、西尾張のとある自治体でもコーディネーターをやるらしい。
 でもね、こういった討論会のコーディネートは完全中立を貫かなければ成立しないんじゃないの?少なくとも、知立市長選の公開討論会では、かなり現職に気を使ったコーディネートだったと思うが、どうでしょうね。たまたま現場で討論会を聴いていた何人かに確認したが、やはり同じ印象を持っていましたぞ。

 もちろん司会役の先生にそんな意図はなかったのかもしれない。しかし「李下に冠を正さず」ということなのだ。公平を保つために慎重であるべきだし、高い見識が求められているということを常に肝に銘じておきたい。やれやれ。