紅葉狩

 今朝は午前4時過ぎに起床、週末に届いたり買ったりした本が50冊ほどあるので書庫にこもって整理をしていた。その中の1冊に、中村眞一郎『秋』(新潮社)があった。箱入りのしっかりした本である。箱から本を出してみるとカバーがいい。原万千子の装画で、青地に色とりどりのモミジが散らしてある。落ち葉を踏む音が耳朶によみがえった。
「紅葉を観たい」唐突に、そう思った。
 決心すると行動は早い。そそくさと身支度を整え、午前5時30分、駐車場から流星号(ワシャ家の車の名前、因みにワシャの自転車の名前も流星号)を発進させた。
 流星号は闇の幹線道路を北に向かっている。夜は明けていない。ただ東に三河高原の低い山の端が白んでいる。豊田の松平郷を抜ける頃にはヘッドライトがいらなくなるだろう。
 この地域で紅葉といえば三州足助の香嵐渓である。ワシャの車の前後に車両はない。アクセルを踏みこむと流星号は心地よく加速していく。この道は足助まで続いている。待ってろよ、香嵐渓
 予定どおりだった。午前6時15分ごろに松平を通過し、王滝渓谷下の駐車場でトイレ休憩をとる。その頃には暁闇が溶け始めていた。穂積橋のT字交差点を右折し白鷺温泉のある追分を過ぎれば三州足助宿、4000本の紅葉が妍を競う香嵐渓である。未だ6時40分、楽々香嵐渓の中心にある駐車場にすんなり入れると思ったら、足助記念橋の手前から渋滞になった。くっそー!もう15分早く出るべきだったわい。それでものろのろとだったがなんとか宮町Pに辿り着くことができた。流星号をおいて、紅葉の待月橋を渡ったのは午前7時少し前、急がねば。
 ワシャは巴川沿いのモミジや紅葉の名所である香積寺(こうじゃくじ)のなどには目もくれず、一目散に飯盛山頂を目指し、山道を駆け上がる。時間は迫っている。急げや急げ。
 飯盛山上にはその昔、山城があった。ここに軍勢をおいて眼下を通る中馬街道を監視したのである。おっと歴史の話になると長くなる。今はそれどころではないのだ。ようやく岨道(そわみち)が尽き、林間の広い場所に出た。山城の三の曲輪(くるわ)である。この上に二の曲輪があって、その上が本曲輪である。急ごう。
 本丸には四阿(あずまや)があって、そこには既に先客が十人ほど陣取っていた。みんな知っているんだね。ワシャが頂上に着いて、まもなく東の山の端に旭日が現れた。山頂のモミジの森に陽光が射す。今まで沈んだ色合いだった綾錦が燦然と輝き始める。
 やったー!これが観たかったのじゃ。
(つづく)