害悪としての爺(じじい)

「今の若いやつは……」と爺たちが言うけれど、有閑爺たちが社会にとってどれほど有害か、知っていますか。
 ちょいと所用があって某役場に出向いた。そうしたら、企画部門の窓口で小柄な七十がらみの爺が若い職員2人を捉まえて苦情を言っている。何のクレームかと耳を澄ませば、「生活支援定額給付金」のことである。自民党公明党の暴走を市町村の窓口で文句を言ってもどうしようもなかろう。どうせ言うなら自民党の本部に行け。
 それから10分ほどして、話は「官僚の天下り」に移っていく。どうでもいい話の中で「東大卒の官僚」を木っ端役人と蔑んでいる。キャリア官僚が木っ端なら、今、爺の対応をしている地方公務員はそれ以下の微塵子役人ということになる。呆けた爺は自分の発言が面と向かった相手の職業を貶めていることに気がつかない。しばらくして、「国民年金」の話題になった。そこで「法の下の平等」とか「人民」という単語をしきりに使っている。この爺、サヨク崩れか。
 かわいそうに、若い職員は何の反論もできずにネジの緩んだ爺の御託をずっと拝聴している。半ば腐りかけた脳味噌の爺は、腐るほど時間を持っているから、うだうだと空疎な話を、好きなだけしていられる。呆け老人の話など、間違っても嫁は聴いてくれないだろうし、家族だって持て余しているだろう。素直に頷いてくれるのは、役所の職員くらいのものだ。だから、暇な爺はストレス発散に足しげく役所に通うのである。さっきまで見ていたワイドショーのコメンテーターの言説をそのまま窓口で繰り返しているだけだ。恥ずかしくはないのだろうか。恥ずかしくないんだろうね。
 最近、有閑爺がはびこっている。上は車屋の奥田某から、末端はこの窓口のクレーマー爺だ。暇だからいたるところに首を突っ込み「老智恵」を押しつけている。それが社会にとって害悪だということに気づかないから恐ろしい。
 ワシャの用事は済んでしまった。でも件の爺のくだらぬ話は続いている。ワシャがカウンターを離れる時には「田中角栄の悪口」をだべっていた。長寿社会というのも考えものだな……