五輪の応援 その1

 北京五輪のいい加減さにはほとほと愛想が尽きた。何だか知らないがオリンピックが始まる前から応援についてはピリピリムードで、本来、「自由」であるはずのものが、あれは駄目これは禁止と細かく制限された。
 東京オリンピックから40年間12大会(冬期の長野を含めると13)に日の丸の旗を振りつづけた「オリンピックおじさん
http://www.olympic-ojisan.jp/
こと、山田直稔(やまだ なおとし)さん(82歳)がテレビのインタビューで「今大会は今までのオリンピック中、最低だった」と言われていた。東京はもちろんのこと、人種問題で揺れたメキシコでも、ブラックセプテンバーで大混乱のミュンヘンでも、日本を含めて西側諸国が不参加となったモスクワ五輪でも山田さんは単独でオリンピックの応援をし続けた。「平和と友好」の旗を掲げる山田さんに対してソ連ですら妨害しなかった。
 それが北京では山田さんの応援の象徴でもある「笛」すら取り上げ、こまかい制限をかけてきた。いろいろな場面で不快な思いをされたとのことで、山田さんの「最低の大会」だったという言葉には力がこもる。
 下は、中国共産党のが日本人応援団につけてきた注文である。バカらしいので読み飛ばしてください。
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