五輪の周辺(2) その2

(上から読んでね) 
http://www.people.ne.jp/a/bd20c25d787945b485648b56df6f6cac
 中国外交部の定例会見で、こんな建前発言がぞろぞろと出た。
「中国政府は人間本位、民のための政治を堅持」
「国民の基本的権利と自由の保障及び促進に力を尽くしている」
「中国国民は法に基づき信教の自由を享受している。これは誰の目にも明らかな基本的事実だ」
 最後は本音。
「私たちは、人権や宗教の問題を利用して他国の内政に干渉するいかなる言動にも断固反対する」
 公の場でこんなことを言っている一党独裁国家を信じられますか?現実をなんら踏まえていない中華そばのチャルメラのような発言には心底落胆させられる。これじゃぁ北朝鮮と大差ない。
 アルピニスト野口健さんが「諸君!」9月号に寄稿している。彼はヒマラヤ登山を通じてヒマラヤ周辺のチベット人への迫害の現実を見てきた。だから今回の北京五輪開催について批判を展開した。このことで彼の長年の夢だったエベレスト登頂・トラバースが潰えた。これがおかしいでしょ。「批判したヤツはチョモランマに登らせないあるよ」ってことに直結すること自体が民主国家ではない証明のようなものだ。誰の目から見ても明らかな迫害を知らぬ存ぜぬで通そうとする共産党文化大革命に何を学んだのだろう。
 開会式のその日、四川省に入っていた作家の重松清さんが、「週刊朝日」に「震災の地で開会式を見た」という文章を載せている。要点はこうだ。だらだらと長い短調な開会式アトラクションに被災者は退屈をしていた。最前列で野外テレビを見ていた子どもたちも、いつしか路上で遊びはじめた。重松さんはその文章をこう締めくくっている。
《路上で遊びはじめた少年には、残念ながら開会式の記憶はほとんど残らずじまいだったかもしれない。だが、それよりも、仮設住宅で「震后(地震後)」をともに生き抜いた友だちと開会式の夜に遊んだ記憶のほうがずっと大切なんだよ、と言わせてほしい。》