コラムニストの勝谷誠彦さんがこんなニュアンスのことを言っている。
「日本人は人生に達成感の基準がないので第二の人生への転換が潔くない。社会との関わりを否定し、最後まで自分たちの村の中で閉塞して生きていく」
確かに、ワシャの会社のOBを見ても、用もないのに会社に顔を出して先輩風を吹かせている爺さんやら、ずるずる嘱託としてぶら下がっているオバさんやらが何人か存在する。いつも思うのだが、第一の人生を完結したこの人たちは、何故、新しい環境へと踏み出していかないのだろうか。もったいないじゃないか。
ワシャはやりたいことがたくさんある。あれもこれもそれもどれも、みーんなやりたい。体験したい。しかし、今は今の仕事に没頭しなければいけないので、そこに集中しているが(笑)、退職を迎えその境遇から解放されれば、もちろんやりたいことをやりまくる。人生は一度きりしかない。老後のわずかな金を蓄えるために貴重な時間を切り売りしたくない。
東三河某市の副市長さんの話。
その人は副市長の前は総務部長だった。事務方のトップである。この人は予てより「退職後は地域にもどって地域活性化のために力を尽くしたい」と言っていた。ところが退職直前になって市長から懇願され副市長に就任することになってしまった。
もちろん、今は与えられた職務に全力を尽くされている。それはそれで貴いことだとは思うが、万が一のこと(つまりポックリ死んでしまったり)があると、取り返しがつかない。自分を育んでくれた地域についに恩返しができないことになる。どうします?副市長さん。
(下に続く)