注文したものを残すんでねえ!

 昨日は読書会だった。課題図書は呉智英『言葉の常備薬』(双葉社)。呉さんの智識の深さにメンバー一同脱帽だった。東京大学卒の某宗教団体のトップを「無教養」と断じ、田んぼの中に佇んでいる「カカシ」は、何故、「案山子」と書くのか、「カカシ」は「カガシ」ではないのか、そういった薀蓄が山盛りで、全編、目からウロコが何枚も取れましたぞ。
 2時間ほど、本を肴にディスカッションして、その後、会議室から居酒屋に場所を移して、環境問題などについて議論を重ねた。

 その居酒屋でこんなことがあった。
 昨日は、金曜日ということもあって新規開店したばかりのその店は混んでいた。10分ほど待たされて、通された部屋は、団体さんが帰ったばかりで、長机の上には食い散らかしたつまみや肴が散乱している。何なんだこの惨状は……座布団の数から見て、10人ほどの団体だろう。寿司、サラダ、刺身などはほとんど手付かずじゃないか。その他の残飯も含めて、それだけあれば、充分ワシャたちのつまみとして間に合う。メンバーのHさんは、本当に食べかねないほど、もったいながっていた。
 もちろんワシャらは、自分たちが食べられる分だけ注文して、飲み終わればハジカミ1本、シソの葉1枚残っていない。店の店員さんに「お見事!」と言われたくらいじゃ。

 こんな飽食を続けていて、日本は大丈夫なんだろうか、と思う。ワシャは本来食べ物に執着するほうではない。毎日、同じものでも空腹が満たされればそれでいいと思っている。昔、家族がみんな出かけて1週間ほど、ワシャ一人になったことがある。毎日、食事の支度をするのも面倒だったので、初日に大鍋いっぱい特製雑炊をこしらえて、朝昼晩朝昼晩それを食べて過ごしたものだ。
 起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半、ではないか。足るを知って分に安んずべきではないだろうか。