馬にはのってみよ人には添うてみよ

 ある著名な環境団体の代表の講義を聴いた。ごく一般的な環境啓発の話だったので、さして得るものはなかった。ただ面白かったのはたまたま聴講生の1人が、武田邦彦教授の『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)を持ちこんでいたから、さあ大変。その本を目敏く見つけた環境団体の代表の血相が変わった。
「こんなくだらない本を読んでいてはだめですね」
 と、厳しい口調でそう言った。その聴講生は本をしっかりと読む人だったので、こう切り返した。
「先生、ちょっとお聞きしますが、レジ袋は環境に悪いんですか?」
「それは悪いに決まっている。レジ袋は石油からできているんだ。レジ袋の削減・有料化をすることで石油の使用が抑えられる」
「でも、武田先生は、レジ袋は石油から得られる化学物質の内で、あまり役に立たないものを使っているので環境に優しい。これをレジ袋として使って、さらにゴミ袋として再利用すれば環境にいい、というようなことを言われていますが、どうなんですか」
「役に立たない石油の部分を使っているといっても石油は石油だ。こんないい加減なことばかり言っている男の本など読んではいけない」
「そうかなぁ……」
 件の講師、とどめにこう言った。
「私は武田教授の本など一切読まない」
 この一言で、この原理主義者の話を聞くのは無駄だと思った。

 ある情報を得るために本を読む場合、もちろん多数の本にあたることが重要だと思う。とくに環境などというカテゴリーは、地球温暖化論と地球温暖化懐疑論、リサイクル有効説とリサイクル懐疑説など全く正反対のものが対立して存在しているから厄介だ。だからこそ環境を説く者は謙虚に両論を確かめ、その上で「私はこう思う」と表明すべきなのである。それをのっけから「己が与する説に異議をとなえるものは、その一切を排除する」という姿勢では、その人自身の言説自体かなり疑わしいと言わざるをえない。一つの物差しでしか事象に当たらず、食わず嫌い、読まず嫌いを続けていたら、いくらその道の権威だといっても偏狭な知識しか入力できまへんで。そんな片寄った人間の発言をを信用しろと言われて出来るわけがないじゃないか。