派遣工という奴隷

 春休みに息子が帰省した。その折に、派遣会社に登録をして、市内の大手企業で3週間ほどアルバイトに励んだ。息子は中学、高校とスポーツマンだったので体力だけは人一倍ある。ちょっとやそっとの肉体労働ではびくともしないと思っていた。それが毎日、どっと疲れて帰ってくる。「忙しいのか?」と尋ねると、「まあね」と答えてさっさと寝てしまう毎日が続いた。
 それでも3週間の契約期間を真面目に働き、4月に入って大学に戻って行った。玄関で見送った息子は来た時よりも少し痩せたようだ。以下は、息子から聞いた話をワシャなりにまとめてみた。

 息子が配属された部署はウレタン製品を切断するところで、同様の派遣工が数人いた。北陸から金を稼ぎに来たというヤンキー夫婦は、派遣会社の寮に住んでいるという。初老の男はほとんど口を開かないので何者か見当もつかない。2人の元気のいい若者は外国人だった。短い休憩が午前に1回、午後に1回あるのみで、残りの時間はひたすら作業をした。機械の一部になりきって黙々とウレタンを切断するのだそうだ。大手企業なので作業は徹底的に効率化してあり、自分の意思を挟む余地など皆無である。この非人間的な仕事を正規従業員にはやらせられない。だから派遣で賄うということらしい。
 ヤンキー夫婦も外国人も最初は元気だった。休憩中も何かしらしゃべっていたが、日を追うに連れてだんだん無口になった。1週間ほどでみんな初老の男同様に表情を失い寡黙になっていった。
 辛うじて息子だけは自宅から通っていたのと、ゴールが見えているので表情を失うことはなかったようだ。

 ワシャも学生時代にいろいろな職種を経験した。工場のラインにも入ったし、アスベストの現場でも働いた。金になったので肉体労働は多かった。きつかったがそれでも人間的な扱いを受けた記憶はある。それが最近はどうも違うらしい。
 息子は短いアルバイトの中で、ワーキングプアの現実を垣間見たようだ。帰る前の日、夕飯を食っているときだ。ボソッと「勉強がしたくなった」と言った。
 うんうん、それがいいと思うよ。