守るべきは善良な国民か?犯罪者か?

 また危地害のために悲劇が起こってしまった。秋葉原通り魔事件である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080608-00000027-maiall-soci
 ニュースの第一報を聞いて、体が震えるほど腹が立った。罪もない、将来に幸福が待っているはずの普通の人たちが狂犬の牙の犠牲になった。コラムニストの勝谷さんも今日のメルマガで怒るんだろうなァ。
 ワシャの息子は東京で大学に通っている。ワシャに似て硬派だから秋葉原はその活動範囲の中に入っていないはずだ。でも、被害者の名前が発表されていなかったので心配になって電話をした。息子は池袋にいた。やれやれ。多分、東京に子弟を送っている多くの親御さんがワシャと同じ行動を取ったのではないか。危地害一匹のせいでえらい迷惑だ。通話料だってバカにならない。

 長田鬼門『死刑のすすめ』(中央公論事業出版)から引く。
《犯罪者に対する異常な思いやりが、日本を犯罪天国にした。(中略)国民は、運よく犯罪に巻き込まれないことを、天に祈るだけである。犯罪人を優遇すれば、国民が冷遇されることになる。当たり前の話だ。犯罪者の持ちもしない権利を優遇すれば、国民が所有する最も重要な権利が損なわれる。》
 まさにそのとおりだ。死刑廃止論者や人権派と呼ばれる弁護士や団体がいかに国民の権利を冒しているか理解できるだろう。

 最近の犯罪者は顔を隠さなくなった。大阪教育大学に押し入った宅間守あたりから変わったような気がする。要するに「オンリーワン」の自己実現をするために犯罪に手を染めるバカが増殖しているということだ。無名で、不遇で一生を終えるより、世間をあっと言わせるようなこと――無能な連中にとって、それが犯罪であることが多い――をやって刑務所につながれる方がいいと思っているのだろう。
 犯罪を割りの合わないものにしなければならないと、前述の長田鬼門はいう。ワシャもそう思っている。犯罪抑止力としての「デスノート」は絶対に必要だ。

 文中に何度か「危地害」と書いた。もちろん誤字ではない。規制がかかっているのでストレートに書けないのである。こんなところにも「危地害」を優遇している片鱗が見える。それでいいのだろうか。