危機一髪、これも仏のお導きじゃ その2

(上から読んでね)
 ちょこっとこの如来様の話を聴いてもらいたい。
善光寺縁起』によれば、天竺のある国に慳貪邪見(けんどんじゃけん)な人々が増えたために、数多の悪鬼邪神が引き寄せられて、巷に死者、病人があふれてしまった。手の施しようがなくなったこの国の長者は釈尊に救済を請う。釈尊は「阿弥陀如来の名号を称えよ」と仰る。長者は帰宅し「南無阿弥陀仏」の十念を称えると、阿弥陀、観音、勢至の三尊が来臨し、悪鬼を追い払ったのだった。三尊は500年にわたり天竺を救済し、その後、百済に移って1012年間済度した後、仏勅により日本に渡ってきた。
 仏が日本に渡来し、崇仏派の曽我氏と排仏派の物部氏が対立する。三尊像は物部氏より迫害をされ、難波の堀江に投棄されてしまう。聖徳太子の活躍で、仏敵物部氏は滅びてしまう。太子は難波の堀江に沈む三尊像をお迎えに行くが、「暫く待つべき人あり」と、堀江の中からお出ましにならなかった。
 30年後、たまたま難波の堀江を、信州の人本田善光(よしみつ)が通りかかった。そうすると水の中から三尊像がポーンと飛び出してきて、善光の背中に引っ付いてしまった。そして「ワシャを信州に連れてゆけ」と仰るではあ〜りませんか。善光は三尊像を背負って信州に戻り、水内郡芋井郷(みのちぐんいもいごう)に堂塔を造営した。

 これが善光寺の始まりとなったのじゃ。642年のことであるから、大化の改新の3年前の話である。以来、1400年にわたって庶民の信仰を集めてきた古刹善光寺が傍若無人な紅い国旗に踏みつけにされなくてよかったわい。