どぜうなべ

 浅草寺西の公園通りからオレンジ通り、浅草中央通り仲見世、観音通りとまたぎ、馬道通りに出る。通りを右に曲がって少し行けば吾妻橋のたもとになる。天気はいい。そのまま南を向ってぶらぶらと歩く。この辺りから駒形町である。
 夏目漱石の『彼岸過迄』の中に《駒方の御堂の前の綺麗な縄暖簾を下げた鰌(どぜう)屋は昔から名代なものだとか……》というフレーズが出てくる。この鰌屋というのが「駒形どぜう」のことである。今回、どうしてもここのどぜうなべが食いたくなって浅草をコースに入れた。
 午前11時30分、予約の時間にはまだ間が合った。上野から結構歩いているからお腹は減っている。浅草寺境内でモツ煮込みがいい匂いを漂わせていたが、ぐっと堪えてここまできた。連子格子の嵌ったしぶ〜い木造二階建て、少し早いとは思ったが、紺地に白抜きで「どぜう」と染められた暖簾をくぐって店の中に入った。
 店の前の歩道は閑散としていたが、店の中はほぼ満席の盛況だ。仲居さんが揃いの着物に前掛けをつけて忙しそうに立ち働いている。入口に下足番の兄さんが控えているので声を掛けた。
「予約をしておいたコーヒーマンじゃ」
下足番は顔を上げてこう応じた。
「何時のご予約でござんすかい?」
「正午に頼んでおいたものである」
「ちょっとお待ちくだせい」
そう答えて、下足番は、階段越しに2階へ確認する。
「コーヒーマン様、ご一行、ご到着です。準備万端整っておりやすかい」
 2階から若い艶のある声が戻ってきた。
「どうぞお上がりくださ〜い」
 う〜む、さすが老舗じゃ。客あしらいが洗練されている。
 ワシャはコーヒーの匂いを振り撒きながら階段を上がっていく。(つづく)

 そうそう今日は菜の花忌じゃった。記念に司馬さんの『街道をゆく』から浅草のフレーズを一つ。
《武蔵は、一様に草深かった。
 そういう状態を、普通名詞では深草という。
 その対語が、浅草かと思える。町屋があつまり、小規模ながら町であるというさまから、浅草が地名になったのではないか。》
 残念ながら、駒形は司馬さんの文章の中には出てこなかった。