同僚が死んだ

 昨日、会社で50代の課長補佐の訃報が流れた。一緒に仕事をしたことがないので付き合いはなかったが、組織横断的な補佐の親睦会があって何度か顔を見たことがある。赤ら顔のメタボリックな巨漢で、酒をぐいぐいとあおっていたという印象が強い。その人、定期検診では内臓系にD判定(要治療)がびっしりつけられていたらしい。それでも豪傑なので二次検診には行かなかったそうだ。年末に腰のあたりが痛くなって整形外科に行って、「これは単なる腰痛じゃない」ということになって総合病院に回された。入院も決まった矢先に自宅で倒れて、帰らぬ人となってしまったという顛末。冥福を祈りたい。
 でもね、他人事じゃないよね。ワシャは10月からずっと腰痛で苦しんでいる。椎間板がヘルっとニアなのでいいと思うけど(よくないけど)、痛みが下腹部や臀部あたりにも移動したりするときもあって、ちょこっと心配している今日此の頃なのじゃ。

 ワシャのようなアホでも、知り合いの死を聞けば「死」について考えますがな。
「死んだら魂魄はどこにゆくのだろう。椿山課長が逝った極楽があるんだろうか。あるいはカンダタが陥った地獄が待っているのかなぁ」
 などとは、さすがに思わない。でも、「死」というものに対する漠然とした恐れはある。だから、必死に本を読んでいるのかもしれない。
「死」について悩みはじめたら以下の本を読むのも一興ですぞ。
 玄侑宗久『死んだらどうなるの?』(ちくまプリマー新書)、養老猛司『死の壁』(新潮新書)、渡辺照宏『死後の世界』(岩波新書)、永六輔『大往生』(岩波新書)、『大往生』はブックオフに行けば105円で間違いなく手に入る。
 最近、読んだ中では中島義道『哲学塾「死」を哲学する』(岩波書店)が具体的に死について書いてあり参考になった。
《死に対する恐怖とは、まったくの無になるのが恐ろしいというストレートな感じというより、ずっと無であったのに、一瞬だけ存在して、また永遠に無になる、という途方もなく残酷な「あり方」に対する空しさです。》
 変わったところでは『白隠禅師法話全集 第二冊 於仁安佐美(おにあざみ)』(禅文化研究所)がためになる。
《生きながら死して働く人こそは、これぞまことの仏なりけり(中略)志あらんずる武士は、毎朝胸上に死の字を二三十ずつ書すべし》
 この方法は効きます。心乱れる時試してみてね。