ちょっと言い分け

 昨日、京都の古書店から本が届いた。昭和42年発行の『土芥寇讎記』(人物往来社)という本だ。「どかいこうしゅうき」と読む。
 題名は「孟子」の「君の臣を視ること土芥の如ければ 則ち臣の君を視ること寇讎の如し」(君主が家臣を土やゴミクズのように思っていれば、家臣は君主のことを仇の如く敵視する)から取っている。
 この本の原本となる土芥寇讎記は江戸時代の中期に編まれている。当時の各藩や藩主の状況をこと細かく記載してあるのだ。一節によれば幕府隠密が集めた情報ではないかと言われている。
 この本のことが、磯田道史『殿様の通信簿』(朝日新聞社)の中に出てきた。当時の殿様の勤務評定が集積されている本なんて、素敵ではあ〜りませんか。早速、ネットで検索をかけましたぞ。
 昭和42年の本なので、新刊では見つからない。「日本の古本屋」で検索すると1冊だけ見つかった。即購入。唯一、市場に出ていた本をワシャが買ってしまったのでもう手に入らないのだ。ワッハッハ。
 で、今、読んでいるところなんですよ。
 いやぁ、これは面白い。読みながら何度も腹を抱えて笑ってしまった。これを読むと浅野内匠頭がとんでもない殿様で、吉良上野介は完全に被害者だということが理解できるのじゃ。その辺りの解説は『殿様の通信簿』に詳しいので触れないけど、三河の殿様の評価を開陳しますね。
三河国刈谷二万石の藩主、稲垣和泉守重富のこと、文武の沙汰なし、利発に見えるが短慮なり。家民の仕置きも父親の真似ばかりで旧来の方法を改めようとしない。故に政道よろしからず。家民とも困窮している」
 文武については評判が聞こえてこないので判らない。利口そうに見えるが気が短い。前例踏襲主義で改革をしないので刈谷の民百姓は困窮している、ということなので、あんまりいい殿様とは言えませんね。
 このような記述が当時の殿様243人について記されている。読み出したら止められまへんで。

 というような次第で『カラマーゾフの兄弟』はまたまた置き去りにされてしまったのだった。
 言い分けでした。