吉良家の防災対策 その2

(上から読んでね)
 まず、危機を危機としてきちんと認識しておくことが大切だ。南海トラフのプレート地震は必ず起こると認識する。同様に赤穂の浪人どもは必ず徒党を組んで襲ってくると認識しておく。その上でその想定に沿って対策を考える。予め侵入経路になりやすい個所を点検し補強をしておく。例えば実際の侵入経路は表門と裏門だったが、ここに番屋を設置し門番を付けておくとか、あるいは屋根や周辺に鳴子を張っておくということをしておかなければならない。また、庭には何重もの遮蔽を築き、簡単に邸内に侵入できないような構造にしておく。併せて北隣の土屋主税、本多孫太郎とは日々親交を深めておき、緊急時には支援要請ができるようにしておかなければならない。仮に緊急避難用の脱出口を設けさせてもらえればめっけものだ。
 吉良家の家禄は4200石である。このクラスの旗本の軍役は79人とされている。一朝ことあればこれだけの兵員と共に参陣しなければならない。これに併せ上杉からの支援を請うて100人体制にしておけば、30人ずつの3交代制を敷くことができ、警護はかなり強固なものになる。この状態で討ち入られても、敵は47名でしかいない。門を固めた人数、警戒組などを差っ引けば、実質の襲撃者は30名に満たないだろう。これらを迎え撃つため、上野介の寝所を中心にして鉄壁の守備固めをすれば、一刻、二刻はもつ。襲撃は午前4時だったから、すぐに夜は明ける。日の出まで持ちこたえられれば、大騒ぎとなり幕府も見て見ぬふりはできずに、赤穂浪士捕縛のための兵を送ることになり、幕府軍が来れば上野介は生存したまま救助されただろう。その後、どうなるかは判らないが、少なくとも凶刃の刃に倒れることはない。
 公家に限りなく近い高家だったとはいえ、上野介は侍である。侍は元々戦闘要員だ。戦闘要員が危機管理を怠るということは致命的と言っていい。