梅原猛講演骨子

「怨霊の思想」と題して、梅原さんはこんな話しをした。以下はその時のメモ。
○人を害するものが「神」として崇められた。オオカミ(人を喰う)やカミナリ(人を殺す)もそうだ。
○怨霊の鎮魂が神社の役目だった。害をなさないでくれとお願いするものだった。
奈良時代一番の怨霊は聖徳太子聖徳太子の系譜は太子の死後21年目に滅ぼされる。聖徳太子(一統)の鎮魂の寺が法隆寺
聖徳太子のブレーンに秦河勝(はたのかわかつ)がいる。この人も後年、配流されその地で亡くなった。
世阿弥は怨霊がのりうつって能の台本を書いた。怨霊がのりうつらないものはつまらない。神がかりにならないような学者、芸術家はだめだ。岡本太郎を見ろ。
○わたしもいろいろなものがのりうつって困る。世阿弥がのりうつったときには、毎日、家の中が能楽堂のようになってしまい、家内が困った。
平安時代は道真が怨霊になった。宇多天皇にかわいがられた道真は藤原氏全盛の時代に従二位(右大臣)まで上がってしまった。このために貴族たちの嫉妬をかい、罠にはめられて没落していく。
○『北野天満宮絵巻』は怨霊の復讐の話。藤原忠平道長の祖)は鎮魂のために天満宮を造る。鎮魂をしたので忠平の子孫は繁栄していく。
○怨霊の道真は、今は入試の神様になった。もちろん私もちょっとぐらいはお参りに行った。その時に知り合いの共産党員が子どものために参詣しているのに出くわした。「ああいう人でもお参りするんだなぁ」と感心したことがある。
忠臣蔵も怨霊の物語だと丸谷才一が言っている。忠臣蔵は無念に死んだ人の鎮魂の劇や。
○赤穂(あかほ)といえば、河勝が配流されたところや。流罪にあって赤穂の坂越で没した。河勝も怨霊や。
○河勝の怨霊が浅野内匠頭を狂わせたんやなぁ。
○家の中や組織の中に怨霊をつくってはいけない。陽のあたらない人には鎮魂(宴会)をして発散させること。怨霊になりそうな人には目を光らせておかないとだめや。
○中曽根から「怨念の鎮魂をどうやってやったらいいのか」と相談を受けた。中曽根の言う怨念とは田中角栄のこと、三木は祟られて内閣を潰された。大平は近すぎて命を落としてしまった。
○中曽根は角栄子飼いの後藤田さんを登用して祟りを免れ、6年も政権を担うことができた。めでたしめでたし。