ハンケチとハンカチ その1

 小学生低学年の頃だった。授業中に何かの発言をしている中でワシャが「ハンケチ」と言った。そうすると学級委員の女の子が「ハンケチじゃありません。ハンカチです」と指摘しおった。しかし、ワシャも「ハンケチ」に自信を持っていたので強弁した。
「いいや、ハンケチでいいのじゃ」
「ハンケチなんておかしいで〜す」
なおもそのガキはたたみ掛けてくる。
「10年もしたら相手をしてやってもいいが、こんな子どもを相手にしていても仕方がない」
と、当時、クソガキだったワシャが思ったかどうかは忘れてしまったが、
「本に出てたもんね。本に書いてあることは正しいもんね」
 と、言い返す。こっちも生意気なガキだったのう。
 そこに担任の教師が割って入った。そして、教科書に書いてあるのがハンカチだから「ハンカチが正しい」に軍配を上げてしまった。ワシャはクラス中の嘲笑を浴びながら席に座ったのだ。
 授業終了後、どうしても納得のいかないワシャは図書館に走って、確か夏目漱石の本で見たような記憶が薄っすらとあったので、『坊ちゃん』やら『吾輩は猫である』を探しまくったのだが見つからなかった。
 子どもだったからかアホだったからか判らないが、1日過ぎれば悔しさも忘れてしまってどうでもよくなった。しかし、それでも時折「ハンカチ」という文字を目にするとその時のことを思い出す。
 今、調べてみれば、『漱石全集』の索引で一発だ。「ハンカチ」では「ハンケチを見よ」になっていて、「ハンケチ」を見ると、漱石の作品全体で77箇所も「ハンケチ」が出てくる。明治の文豪は「ハンケチ」と言っていたのじゃ!
(下に続く)