午前3時48分起床。夕べ見た「開運!なんでも鑑定団」に坂本龍馬の手紙4通が気になって目が覚めてしもうた。
出品された手紙には6400万円の値がつけられた。これは多分底値で、実際のところは1億は下るまい。
差出人は龍馬、宛先は長府藩士三吉慎蔵という人である。この人、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にも登場している。竜馬の恋人のおりょうが素っ裸で湯船から飛び出して、二階にいる竜馬に捕り方の襲来を告げる有名な場面があるでしょ。あの寺田屋事件の時に竜馬と行動を共にした侍が三吉慎蔵なんですぞ。竜馬と慎蔵はたった二人で30人の捕吏と斬り結び寺田屋から脱出した。この後、二人は隣家に乱入し、そこを踏み抜け掘割り沿いの木場にまぎれ込んだ。この時、両名とも手傷を負っている。とくに竜馬の右手の傷は深い。追い詰められた慎蔵は竜馬に「逃げ道はない。ここで潔く腹を切りましょう」と提案する。これに対して竜馬はこう応じる。
「逃げ道があるかないかということは天が考えることだ。おれたちはとにかく逃げることに専念すればいい」
「賭けてみることだ。天がもしおれ達を生かしてくれるつもりなら、君は無事薩邸へ走りこめる。さもなければ天命に従うまでさ」
このセリフは、『竜馬がゆく』の中でも強く印象に残った。まだ若かったワシャは、このフレーズをノートにカリカリと書き写したものである。ワクワクしながら読んだ物語の断片が、まさに史実としてテレビに映し出されていた。感動しましたぞ。
手元に、宮地佐一郎『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)という本がある。この中に三吉慎蔵は23箇所登場し、宛書簡も8通載っている。これは勝海舟、武市半平太などよりも多く、この時期に龍馬との交流が厚かったことを物語っている。
それにしては、幕末維新史には記録されておらず、例えば国史大辞典を調べても出てこない。経歴としては、長府藩の報國隊軍監に就任し、高杉晋作の幕下で長州征伐を戦い、維新後は豊浦藩(長府藩)の権大参事(ナンバー3)になり、廃藩置県後は宮内省御用掛として北白川宮家の家扶、家令を務めている。龍馬との交流や長州藩士であることを考え合わせても、慎蔵の維新後の処遇は少しばかり軽いような気がする。あるいは慶應2年1月24日夜の龍馬の言葉「天命に従うまでさ」を堅く守り、猟官運動などしなかったのかもしれない。
龍馬の命を救ったということは明治維新に大きな功績を残したということであり、そういった意味から言えばもう少し評価されてもいい人物のように思われる。誰かこの人のことを書かないかなぁ。