興味深い写真集

 今、写真集を見ている。新垣結衣長澤まさみのならいいんだけど、そうじゃない。『北朝鮮の日常風景』(コモンズ)という重〜い写真集なのだ。推薦者の姜尚中は言う。
北朝鮮にも、われわれと同じような「人間」が住んでいるのである。》
 そりゃそうだ。
《その風景の中に、わずか数十年前の日本や韓国の姿を発見することは、そんなに困難なことではないはずだ。》
 ふ〜ん、と言うことなので、ざっと見ましたがな。しかし、残念ながら姜氏の言う古き良き日本の風景は発見できなかった。
 まず90枚余の写真の中に写りこんでいる人民の姿なのだが、一様に覇気がない。動きがないのである。「奉仕売店」という写真は、「村の住民たちが、広い道路に面した奉仕売店で品物を買っている。」という説明がついている。でもそこに写っている15人ほどの人民は、モノを買っていると言うより、ただたむろしているといったふうなのである。その隣の写真もそうだ。「競争図表」と題した写真は、農村の住宅の白い壁に作業班ごとの生産向上を督励するための棒グラフが張ってある。こんないやらしい図表はもちろん数十年前の日本の貧しい寒村にはなかったよね。そして問題なのはやはりこの風景の中でも男が4人、何もせずにたむろしているのだ。「駅前の風景」でも40人ほどの人民は手持ち無沙汰に座りこんでいるだけだし、「車が盗まれないように守る人々」でも、トラックの前で4人の男がただぼんやりと座り込んでいるだけなのだ。
 列車の写真も何枚か出てくるが、どの貨車も客車も手入れがまったくされておらず、車体がボロボロになっていた。隅から隅まで手入れされて磨きこまれているのは、貧しい風景に不釣合いな総天然色の「偉大なる主席様」のバカでかい肖像だけである。
 こんなとぼけた風景は数十年前の日本のどこにも存在しなかった。それは断言できる。東北の寒村だって、農作業に使う道具はピカピカに磨きこまれていたし、日本全国、どの列車だって手入れが行き届いていた。国民は貧しいながらも勤勉だったし、少なくとも国に絶望はしていなかった。
 彼の国の体制が破綻していることが顕著に理解できる写真集だった。歴史に「もし」はあり得ないけれど、57年前に国家が分断されていなければ、こんな喜劇(豪華な肖像と極貧の風景)は起きなかっただろう。