土佐大変

 1605年というから関ヶ原の合戦が終わって、山内一豊が土佐に入って5年ほど経っている。戌ノ刻(現在の午後10時ごろ)、南海道から房総沖にかけて大地震が発生した。南海トラフが動いたのである。
 それから100年後、宝永4年の徳川実紀の記述だ。
《七日豆州下田湊四日の地震に高潮をしあげ。各所破損の注進あり 甲州身延山富士川口崩れ。遠州荒井の海口も損じ。その他三州城々宿々此の禍にかゝらざるはなし。大坂は民屋一万六百轉覆し。生口三千廿人ほど死失せ。土佐は田圃多く海にいりしと聞こゆ。》
 東海・東南海・南海地震のプレート型地震が発生した。
 時代はさらに下る。嘉永7年、ペリー来航の翌年だから1854年だ。やはり東海、近畿、四国にわたる広範な地域が被災しているので、南海プレートにおける海溝型地震と言える。
 そして直近では、昭和21年に室戸岬の南東100キロの海溝で南海地震が発生している。
 こうしてみると、地震の巣と言われる南海トラフは100年〜150年周期でコンスタントに揺れつづけていることが判っていただけるだろう。もちろん地震は海溝型だけではない。海のプレートが沈み込む際に、陸のプレート(日本列島)を引きずり込むので、列島のあちこちに「ひずみ」の力が蓄積される。これが断層地震を起こす。

 このところ原発ゴミの行く先さがしで高知県の東のほうが喧しい。国、NUMO(原子力発電環境整備機構)はこう説明している。
「高レベル放射能を含む廃棄物は、ガラスで固めて地下の安定した地層に埋めて処分する」って、おいおい、使用済み核燃料には、核分裂生成物と超ウラン元素放射能が加わり、原子炉から取り出した直後の燃料棒の放射能は、使用前の一億倍でっせ。もちろん時間とともに、放射能は低下してゆくが使用前と同程度になるには、少なくとも100万年はかかると言われている。こんな恐ろしいものを100年に1回は必ず大地震が襲う高知県の山の中に埋めて大丈夫なわけがないだろう。NUMOの言う「安定した地層」なんて日本周辺にはないということが、どうして霞が関の受験秀才たちに理解でできないのだろうか。