山古志再生への軌跡

 先日、旧山古志村村長だった衆議院議員長島忠美(ただよし)さんの防災講演会があったので行ってきた。
 いやーぁ、なかなか聴き応えのある講演でしたぞ。
 講演の骨子をメモしてきたので以下に記す。

「私はその時、妻と娘とともに自宅にいた。テレビを点けて寛いでいた時に、どんと1mほど突き上げられた」
「1回目の揺れがおさまってから外へ避難した。周辺は暗くなっており、何が起きたのかまったくわからなかった」
「午後6時03分、2回目の地震があった。月明かりの中で家が揺れるのがわかった。軽トラックで役場に向かったが、役場に通じる4つの道がすべて不通になっていた。車ではいけないので、歩いて行くことにする。私の集落(150戸)に職員がいたので集落のことを頼んで役場に向かった」
「電話はあちこちに掛け続けたが、通じたのは2時間後だった。最初は他の村長で次は県庁だった」
「県の職員に『山古志村から連絡はありましたか?』と確認したが、『ない』とのことだった。それから村外に出ているだろう職員に電話をして『村に戻るな』と指示をした。『県の出先機関に飛び込んで、私の指示を待て』と命じた。この職員の存在が後々役に立つことになった」
「災害に際しては、迷わないこと、住民と約束したことを守ること」
「私は県に依頼した。『地域を知っている私にヘリコプターを用意してくれ。私が地域を見ることが一番被害の状況を把握できる』この依頼が功を奏しヘリコプターを用意してもらったが、村内で多くの怪我人が出ていることがわかったので、怪我人の搬送を優先して使用した。その代わり空からの状況をつぶさに報せて欲しいと依頼をした」
「24日午前10時、道路がことごとく崩壊して、14の集落が全て孤立していることがわかった」
「午後1時、全村民避難を決断する。そのことを県、自衛隊に連絡する。その後、26時間で全ての村民の避難をすることができた」
 これは「奇跡の26時間」と言われている。
 長島さんは決して話術が巧いわけではないのだが、訥々とした話がかえってリアリティがあった。新潮180センチの大柄な方だが、腰の低い温和な方で、この村長なら災害復旧を任せても安心だと思える人だった。経歴に消防団が入っていたが、永田町の政治屋の中で消防団経験者が何人いることだろう。この一事をとっても83会(小泉チルドレン)とは一線を画す政治家といっていい。
 長島さんの話は明日に続きます。