早朝、夕べの雨で濡れた庭をぬけて郵便受けを開ける。朝刊2紙、ダイレクトメール、請求書などに混じって「司馬遼太郎記念館」と書かれた封書があった。会誌『遼』がきたのじゃ。
 このところ休日出勤もあり、トラブルも続き、ワシャはやや疲れ気味だった。体が重いのは言うまでもないのだが、心が重くなりだしていた。そこに『遼』が舞いこんで、心が少しだけ「ほっ」とした。
朝食をとりながら、ざっと会誌に目を通す。今回は東京工業大学山室教授のエッセイが面白そうだ。「竜馬は西へ、歳三は東へ」と題して、司馬さんが同時期(1962〜1964)に別の週刊誌で連載していた坂本竜馬土方歳三について考察している。
 司馬さん、一度だけこの2人を『竜馬がゆく』の中で遭遇させている。多分、そのことについて触れているのでは……と思ったら、案の定、そのとおりだった。
 文久3年竜馬29歳、場所は祇園石段下から鴨川を渡った四条西岸、新選組を引きつれ巡察中の土方歳三と緊迫したすれ違いの場面である。もちろん司馬さんの創作なのだが、読者としては手に汗を握りましたぞ。だって、ここで2人が出くわせば、必ず刃を交えることになって、そうなればどちらかが倒れてしまいますよね。初めて読んだ時には「それじゃぁ歴史が変わっちまうじゃないかー!」と絶叫したものです。それを司馬さん、さりげないエピソードで両者をさらりとすれ違わせている。
 さすが名人司馬遼太郎、凡人には予測もつかない。_| ̄|○
 それにしても山室教授、『遼』秋季号に、この場面をもってくるなんざ、なかなかの人物とお見受けをいたしやした。この場面がちょうど風のつよい晩秋のことなんですね。そのことを踏まえて、エッセイに仕上げている。おみごとです。
 せっかく舞いこんだ『遼』が切っ掛けをつくってくれたんだ。元気を呼び戻すために久々に「竜馬がゆく」「燃えよ剣」あたりを読み直すことにいたしやしょう。