うつろい

 午前5時起床。エアコンは27度で一晩中入りっぱなし、もうエアコンなしには生きていかれないのじゃ。寝室から廊下にでると、「おや?」昨日までは、廊下にムッとした空気が充満していたのに、今日はその「ムッ」がない。新聞をとりに玄関を出ると我家の庭に涼しい風が吹いている。「秋の気配」だった。
 そりゃそうだ。季節でいえば立秋の第三候である。もう秋はそこここで始まっていた。
「夕月夜、野を分け行けば、葛の葉の、高きあたりに、松虫のなく」(与謝野鉄幹
 もう夜になると猫額の庭に虫の声が喧しい。近所の生垣には鳳仙花がかわいい花をつけていた。
 地球規模で気象がおかしくなっているが、それでも日本の風土は細やかな季節の変わり目を私たちに知らしてくれる。この繊細な移り変わりをずっと楽しみたいよね。

 そうそう、今日、8月18日は豊臣秀吉の命日だった。実際には旧暦の18日なので、今で言えば9月18日のことである。一子秀頼に心を残し、敵である家康に何度も何度も頭を下げながらの大往生となった。残念ながら家康は、秀吉の想像を絶した大悪人で、この日から15年後、秀吉の係累を殲滅する。
「あと10年の寿命があれば、秀頼を成人させ側近に力をつけ、できれば家康を潰しておけたものを……」
 頭のいい秀吉のことだ、そのくらいのことは考えていただろう。しかし英雄の寿命はこの日に尽きてしまう。あとは狸爺のやりたい放題となるのは歴史のとおりである。