『遼』届く

 司馬遼太郎記念館会誌『遼』2006年春季号が届いた。早速、食事をしながら読む。今回の特集は「第10回菜の花忌」だ。司馬遼太郎賞は鈴木輝一郎さんの兄貴分の北方謙三さんが受賞された。その受賞スピーチや井上ひさし関川夏央らによるシンポジウムが掲載されており読み応えがありましたぞ。
 ただ憲法学者樋口陽一の「随想」がよくない。「沿流而求源」と題した文章は実に臭い。まず題が高慢からできている。「流れに沿い而して源を求める」なんのこっちゃ。文章を読み進めると、司馬さんがこの学者の家を訪問した際に「記念署名簿」にそう書いたからだそうだ。
 このオッサン、バリバリのサヨク司馬遼太郎から厭戦部分ばかりを抜粋して文章を書き進め、文末では反日的東大教授のあの「丸山眞男」と同列に並べてしまった。
司馬遼太郎丸山眞男はともに、今はやりの近代批判の風潮の中で、静かに、だが断固として、「近代」のがわに立っている。》
 樋口は「唐突だが」と前置きをして、自分の師匠である丸山を司馬さんと同列にしてしまった。これは暴挙と言っていい。心有る司馬ファンは泣いておるぞよ。
 この丸山について触れたい。この人ほど日本の一般大衆を嫌ったインテリはおらず、日本の国土と日本人をこよなく愛した司馬遼太郎とは対極を成していると言ってもいいインテリだった。丸山発言には日本の普通の人々(丸山の言うインテリではない人)を貶めるモノが随所に散見される。「東大を出た人はいいけど、その他のバカ大を出た大衆などバカばっかり」とかね。
 司馬さんが鬼籍に入って10年、少なくともこの駄文を読む限り司馬さんの考え方というものが、こういった似非インテリのために曲げられてきたように感じる。まあ会誌だからどうでもいいんだけどね。
 気分の悪い文章の口直しに『街道をゆく』でも読みなおすことにしましょうか。司馬さんの思想のエキスは司馬作品の中にこそあるわけだから。