3月21日の朝日新聞に「小3マンションから転落死」と社会面に小さな記事がある。この時期のマスコミ論調は事件・事故の両面から調べているとしながらも、マンション15階に設置してある消火器のボックスを映して、これを踏み台にして手すりに上ったような報道をしていた。
31日に同じ場所で女性を突き落とそうとした危地害男が逃走するビデオ映像が公開され、事件は一気に解決する。防犯カメラの功績である。このカメラくん、人間なら表彰状ものだ。
なのにマスコミは「確かに防犯カメラは犯人の逮捕の一助にはなったが、犯罪を防ぐことはできなかった」とカメラくんに冷ややかな論調を繰り返す。今日の朝日新聞社説でこう言っている。
《しかし、過信は禁物だ。今回、防犯カメラは容疑者の逮捕には役立ったが、事件は防げなかった。》
じゃあどうすればいいのか、ということに関し朝日論説委員様は見事な犯罪防止策を出した(笑)。
《見知らぬ人がいたら、声をかけてみるのがいい。悪いことをしようと思っていても、正面から顔を見られれば、ためらうものだ。》
違〜う!
マンションの15階で、それも昼時だ。みんな食事をしながら「笑っていいとも」や「みのもんた」を見ている時間帯でっせ。誰が15階で危地害を睨みつけるのよ。それに危地害と猿は目が合うと襲ってくるということを論説委員様は知らないのかな?なんの解決策も提示せぬまま「カメラだけでは防げない」と言われても困るよね。
そして社説の締めくくりは
《(警察がカメラの)映像を早くきちんと解析していれば、第2の犯行を防げたかもしれない。捜査の経緯も検証してもらいたい。》
お得意の「かもしれない」攻撃だ。
多分、警察がエレベータの防犯ビデオがとらえた第1の犯人の映像を流していたら、第2の犯行は起きず、その場合、駐輪場を逃げる犯人の姿は撮られないので事件は迷宮入りになっていたかもしれない(「ワシャも「かもしれない」を使っちまった」。
「かもしれない」では何の解決にもならない、かもしれない。