喉もと過ぎれば(2)

 去年の3月30日の中日新聞一面に「万博、最多の7万5000人」という見出しが踊っている。開幕の5日目、後に悪慣れリピーターどもの押し寄せで28万人が会場内にすし詰めになったことを考えれば、この頃は極楽だったんだね。
 それでは、さっそく槍玉コーナーに突入じゃ。
 3代目万博協会事務総長の中村利雄氏は朝日新聞で言っている。
「開幕直前は問題が山積みだった」
 これは何も中村クンだけの責任ではない。2代目の坂本なんとかっていうオバサンにも大きな責任がある。何しろ万博をやろうというのに、「とりあえず開くこと」だけに目標を据えていたため、何の仮説も立てず、想定もせずに漫然と準備をしているから、電気が不足したり、各国のパビリオンが開幕に間に合わなかったりしたわけだ。
 中村クン、連載7回目で「開会式は必死だった」と回想している。そりゃそうでしょ。なんだってオープニングは大変なんです。そしてフランスのシラク大統領に「非常に質の高い万博だ。成功を祈っている」と言われたと自慢している。
 違〜う!
 中村クン、そんなことで喜んでいてはいけない。シラク大統領はVIPなんだよ。「地獄の行列」にも並ばなかっただろうし、「地獄の会場アクセス」だってスムーズだったはずだ。食事だって当然のことながらVIP待遇だし、さすがにわがまま外人スタッフだって、フランス大統領には愛想がいいだろう。そういったVIPの陰で地獄を味わっている一般入場者への視点が欠落しているのだ。
 連載8回目では、例の「弁当持ち込み問題」に触れている。ここで中村クン、こう言い訳をしている。
《「メシの恨みは怖いので、考え直さないといけないな」と考えていた矢先、小泉首相から「解禁できないか」という指示があった。》
「ボクもちょうど考えていたんですよ〜だ」ということなのね。
 この対応の遅さ決断の鈍さが、愛知博全体を覆っていた。もう準備から何から何までぐちゃぐちゃになっているというのに、責任を擦り付けられることを恐れる余りに石橋を叩いても渡らず、総理に背中を押されてようやく片足だけ乗せてみる、といった体たらくなのだ。(つづく)